主人公とジルベルトとの恋、およびその破局を中心に話が展開される本巻は、しかしながら、既刊の2冊とくらべると物語的な起伏が少ない。
<花咲く乙女たち>が海岸に姿をあらわすのは次の巻からである。
その代わり、文学や音楽などの芸術をめぐる対話や考察がふんだんに書き込まれているので、なかなか味わい深いともいえる。
本文庫版が依拠するプレイヤッド新版の責任編集者タディエ教授は『プルースト一件書類』(ピエール・ベルフォン刊)のなかで、『失われた時』の革新性について――《物語、エッセー、詩、さらには芸術(建築、絵画、音楽)に共通する精神を小説全体のなかで統合している》と指摘する。
本巻はまさに、その見本のような一巻。ちょっと<プルースト評論選>といった趣きがあり、つい傍線を引きたくなるフレーズが頻出する。
《人間を近づけるのは見解の共通性ではなく、精神の血縁である》(31ページ)
《ある女のもっとも強烈な夢が、自分を侮辱した男を辱めてやることだとしよう。しかしよその国へ移り男のうわさを二度と聞かなくなれば、その敵もしまいにはどうでもいい存在になるはずである》(105ページ)
《地位と人物とは一体だと信じこむのは、最初に不可分に見えたものを分解して知覚するすべを知らない人だけである》(197ページ)
《ソナタのなかでもっとも早く発見される美は、もっとも早く飽きられる美でもある。その原因もおそらく人生と共通しており、人びとがすでに知悉している美とさほど違わないからである》(228ページ) ……
既刊同様、本巻も地図、図版、訳注、訳者解説(あとがき)が充実していて申し分のない編集がなされている。
ただ1、2か所、「?」と思った訳文がある。
たとえば、377ページ。
《それでスワンは、ヴェルデュラン夫人の夜会に妻を連れて行きはしたが、……》とあるが、彼は前の巻でヴェルデュラン夫人のサロンから<追放>されている。
したがって、ここは《それでスワンは、ヴェルデュラン夫人の夜会へ妻について行きはしたが、……》とするほうが自然ではないだろうか?
原文も“accompagner”(主意:いっしょに行く)を使っている。
193ページのスワンのセリフ――ボンタン夫人宅へ《近々ご挨拶に伺うとき……》にも疑問を感じた。
191ページにあるとおり、スワンはボンタン夫人が妻のサロンにやってきていることをすでに知っているからだ。
したがってここは鈴木道彦訳のように、妻のサロンにいるボンタン夫人に――《私はひとつ、ご挨拶申し上げて来よう》(集英社文庫版3巻184ページ)とすべきではないか。