鈴木道彦訳(集英社)を愛読しているので本書を買うつもりはなかったのだが、書店で手に取り、地図や図版が充実しているのを見て買うことにした。
読んでみると、じつに配慮のいきとどいた編集がなされていて感心した。
小説の舞台となる1900年前後のフランスおよびパリの地図、訳注、プルーストの年譜は親切をきわめている。
ここまでの編集がなされていれば、プルースト事典の類は必要ない。本書だけでも十分に『失われた時』を読むうえで必要な舞台や背景についての理解を得ることができるからだ。
訳文についていえば、吉川氏は鈴木道彦氏よりも原文に寄り添っていてやや息が長いが、かつての井上究一郎訳ほど読みづらくはない。
私見では、ふつうの意味で事件が次々に起こるわけではない『失われた時』を楽しみ味わい、かつ読み通すためには、作者の語りや描写に身を任せるのがいちばんだ。
たとえば、<語り手>がバラ色の服の夫人にどぎまぎしているときは同じように心をときめかし、ヴィヴォンヌ川に沿って散歩しているときはいっしょに歩いているようなテンポで読み進め、また<語り手>がサンザシの花に語りかけているときはその言葉に耳を傾けるようにする。
すると、長い長いこの小説もさほど長くは感じないはずである。
本書はそうした<読み>に十分耐えられる訳文になっている。
知人によれば、光文社古典新訳文庫でスタートした高遠弘美訳『失われた時』(未読)も「いい訳だ」というから、読み比べてみるのも楽しみだ。
この岩波版『失われた時』に関して、ひとつだけ疑問に感じるのは「半年に1冊」という刊行ペースである。
全14巻だから、順調にいっても最終巻は7年後ということになる。いくら大長編とはいえ、これは気長すぎるのではないか。せっかくの吉川訳の感興もそがれてしまう恐れがある。