よく夫婦別姓推進論者は、革新的だと言われますがそうではないことを論理的に解き明かしています。
すなわち妻が元々の姓を名乗るということは父の姓を引き継ぐということでありむしろ封建主義的であるということ。すなわち推進の論拠に父性を持ち出すことは相手の父性を批判し自らの父性を保守することに他なりません。実際、宮崎氏はそれを批判する意味もあり妻の姓を名乗っています。父性をどうしても批判したいならば南米のようにアルベルト・フジモリ・フジモリ(フジモリ元大統領の本名であることは知られています)であるとか両親の姓を両方名乗る、あるいはタナカ・マルクス・トゥーリオ・ユウジ・ムルザニなど全ての苗字を含めることがジェンダー的にも論理的でありましょう。その点でいえば例えば八木氏の場合も夫婦別姓論者の場合も、Aの父性とBの父性のどちらを優先するのか? という非常に狭い範囲で議論しているに過ぎません。論理的に夫婦別姓を考えたい人におすすめです。