1987年7月、確かこの年はマゼラン星雲での、超新星爆発があった年なので、それと関連して読んだ印象に残る本だ。この年は、チェルノブイリの原発で出力実験中に黒鉛炉の反応暴走が制御出来ず、黒鉛製原子炉が爆発し、炉の底に溜まっていた放射性生成物(ヨウ素・セシウム・ストロンチューム・プルトニューム)など、恐るべき放射性毒物が、ヨーロッパ一帯に拡散され、チェルノブイリがあるウクライナ共和国では、様々なガンが今のも発している。この途轍もない放射能生成物は、偏西風に乗り緯度が近い日本にも運ばれ、静岡産の茶葉はセシウムの線量が多い為に使えなくなった事が有った。その当時に出版された、随分と古い本であるが、この本が読む者に与えた影響は大きいに違いない。17世紀の太陽観測から、太陽活動における黒点の有無と、それらが齎した小氷河期という気候変動が与えた様々な影響、人間が経験した生活全般、思想・哲学・生活観、宗教的に対する内面の自覚という、特にキリスト教ヨーロッパ文明全般に与えた様々な、事柄が描かれている。人間の歴史のうえに寒冷期という気候現象は、小規模であるが度々繰り返された。
ごく最近の例では、15世紀後期から17世紀中期まで約七十年間の寒冷期を、桜井邦朋先生は小氷河期と規定する。この時期は太陽の黒点がその表面から消失した時期にあたり、その黒点記録を丹念に調べたイギリスの天文学者マウンダーの名前からマウンダー極小期と呼ばれている。惑星科学によれば太陽活動は11年と言う短いサイクルが一般に知られているが、その短サイクルの外に、中サイクル、そして期間の長い長サイクルがあるという。そういうサイクルに廻りあった人々には、相当に試練が待ち構えているのだが、地球の表面に生存するあらゆる生物は逃れる事は出来ない、それらは宿命であろう。この様な深刻な気候変動を背景に、著者は人間の文明の意味について、極めて重要な省察を試みている。それは文明・文化の人間的な内面の意味に付いてである。この小氷河期は、そこに住む人々の慢性的な栄養失調は、飢餓やペストの如き伝染病を蔓延させ、人間に明日をも知れぬ死の影を突きつけて滅ぼしてゆく。死の舞踏、その光景を見ながら、人々は生きる事の意味を、改めて真剣に考えたのであろうと書き綴っている。
やがて、そこから17世紀後半から始まる産業革命の萌芽も、宗教的な倫理に支えられた資本主義の倫理も出現してくるのだと桜井氏は言う。果たしてM・ウェーバーの言うような倫理に裏打ちされた資本主義倫理が形成されて行ったのか?は、すべて肯定は出来ないが、少なくとも、人々は内省化の道を歩んで行った事は肯定できる。死の影に晒された日々は、少なくとも、自分の人生の生き方に何らかの指針を要請したことは確実であったろう。この寒冷化した時代に蔓延した伝染病の中でもペストは、特にこの時期に何百万人の人々を死に追いやった腺ペストであったという。この時代のイギリスを襲った惨状を、天性のジャーナリストでもあるダニエル・デフォーは、その名著「ペスト年代記」に驚くべき現実感を持って記述している。
だが、人間の文字的歴史は、長い無文字の歴史年代からすれば始まって半歩にも満たないものだろう。少なくとも現生人類には20万年の気の遠くなる日月が意識下に蓄えられている。この間に温暖な時期は(間氷期)は、短く幾つも無かった。長い氷河期が地球の歴史である。一万年続く氷河期が人間をある意味で内省的に、愛情と自己犠牲の心を育んだ事も確かであろう。人間の歴史では、この百年がむしろ狂っていると断言できる。我々が、遠い未来に人類に残せる物は何だろう?と、思う事の方が必要な事だ。やがて間氷期も終わり、ヨーロッパは氷河に覆われ、サハラは緑の草原に変貌するであろう。東アジアで言えば、日本国は朝鮮半島と陸続きになる事もある。穀物収穫量は、今の人類を養うだけの量を欠く事になるとき、やはり有る意味で歴史が動く可能性は否定できない。それ以上に、現在湯水の如く浪費している石油エネルギーの枯渇は、目前に迫っている。この様な浪費を見るに付け、人間の文明の脆弱さと終末を意識せずには居られないのだ。今の自分は、困難が降りかかるまで生きて居ないから、後は、野と成れ山と成れでは、我々子孫に伝える文明も文化も無く、余りにも心無い立場であろう。今その為に何が出来るか?出来る物からやって行くしかない。