本書の表題は魅力的である。英(米)文学者は太平洋戦争にどう対処したのだろうか。至るところ国粋的な言論が横行し、それになびかない者にはたちどころに「非国民」の烙印が押される時代であった。苦しかったのは英文学者だけではない。しかし英文学を学び、それを講じる者にとっての苦痛はその上を行くものであった。彼らにとって英文学は生活の糧であるだけでなく、生涯にわたっての精神の糧であるべきはずだったからである。国際的感覚の視点からすれば彼らは当時の知識層の中でも上層を占めていたはずである。著者はそのような英文学者として、福原麟太郎、大和資雄、中野好夫、壽岳文章、斉藤勇、喜安しん太郎をあげて論ずる。
本書で著者が主たる素材とするのは雑誌『英語青年』と日本英文学会の『英文学研究』で、あとは後年の編纂になる書籍であるから著者の目配りは十分とは思えない。しかも、こぼれ話や附録を除けば本論ほぼ150頁のうちの50頁ほどを「皇国の名を負える」と自称する大和資雄とその主著(と思われる)『英文学の話』にあてているのは解せない。大和が世渡りは巧みであっても思想的な葛藤とは無縁と判定されるからには時代を代表する学者として相応しいとはいえない。その反面、他の学者たちの映像はおぼろげである。
たしかに終り近くの3頁ほどで著者は「当時の大多数の英語教師、英文学者の態度を代表している」と考える人物について論じている。著者はその匿名のまま残された学者の著作の「あとがき」を読んで「戦争はこの好学の人にとってつらい災難であったとしか言いようがない」と結論する。附録とされる末尾の「書誌家の立場から」は期せずして戦後も久しい現在の英文学者たちの状況を興味深く伝えている。そこに見るかぎりでは、彼らは依然として狭い世間に生きる「好学の人」にとどまっている。