本作の筆頭登場人物である細川政元といえば、私にはカルト大河ドラマ「花の乱」の終盤で今井雅之さんが我が物顔で専横を極める悪辣非道ぶりが先ず頭に浮かびますが、多くの方には名前も時代もよく分からない人でしょう。
実際、本作の舞台となる15世紀後半、つまり、ポスト応仁の乱からメジャーな戦国大名登場までというのは、歴史小説どころか歴史そのものでもマイナーな印象は拭えません。
しかししかし、そんな時代と人物を、作者はモノの見事に、誰もが違和感なく読み進められる群像劇に仕上げています。それでいて、時代コスプレ的なものではなく、正統な歴史小説のテイストも充分備えているので、こんなマイナーな時代にも造詣深い方にも満足いただけること請け合いです。
さて、群像劇と敢えて書いたのは、本作が細川政元の単純なピカレスク・ロマンでも早過ぎた信長でもない描き方にあるからです(但し、巻末の著者挨拶にもあるとおり、政元を信長と重ねているのは確かで、終盤の天魔という言葉の連発や比叡山焼き討ち時の政元の発言には被せ過ぎと私には思えるが)。
本作は、政元に関わる多くの人々−父、姉、守り役、側近、敵対者、日野富子などから見た三人称を基本として、政元は彼ら彼女らから見た描写が多くを占めます。それ故、政元の何手も先を読んだ策略に読者までが翻弄されるというストーリーテリングの妙が味わえるだけでなく、政元の言葉のどれもが本心とは思えなくなります。最後に彼が何度も繰り返す言葉すら、本心なのか、それを持ってして尚隠すべき思いがあったのかと確たるところがありません。
彼は「真のもののふとして、民を守るため敢えて戦う」的な発言をします。それは、凡百の歴史小説で一般に悪役的な人を主人公にしたときの常套句ですが、本作では、それすら政元が本心を隠す能面の一つと読むべきでしょう。
バサラなんて月並みな言葉では寸分も語れぬ政元の生涯を読み切ってなお、彼の本心が奈辺にあったのかと余韻を味わえる素晴らしい仕上がりです。
そうそう、多くの登場人物の中で、最もメジャーな日野富子の描き方がステロでもキテレツでもなく、しかし、魅力ある人物となっているのが秀逸です。