大政奉還により事実上幕府が消滅し、その次の政権運営を巡って、旧幕府と薩摩・公卿の駆け引きが始まります。当初は、土佐をはじめとする徳川に同情的な大名の存在もあって、何としても徳川を武力粉砕したい薩摩・公卿の思惑は外れます。しかし岩倉具視の決意や、薩摩の江戸擾乱作戦(やりすぎだとたしなめている)もあって、ついに鳥羽伏見の戦いという武力衝突に至ります。
兵力でこそ有利な旧幕府軍でしたが、士気や兵器の差はどうしようもなく、会津藩兵の奮戦が唯一の救いでした。そして徳川慶喜は大坂城から江戸へ逃走し、残った旧幕府軍もあっけなく城を明け渡します。大坂をほぼ無傷で手に入れたのは、新政府にとって大きなプラス要素となりました。しかしながら、せっかく出来た新政府も薩長の軍事力はあっても、肝心な金が無いという大変な状況の中、堺事件という大きなトラブルを抱え込んでしまいます。
それにしても、薩摩が大政奉還から鳥羽伏見の戦いに至るまでに、あれやこれやと確実に手を打っているのに対して、慶喜はどこか見通しが甘かった思いました。