漁船麻雀は、皆伝に載ってたあの麻雀なのか。状況がどこか違うような…? ここには親は絡んでこないし、複雑さも悲惨さもないから、来賀氏のアイディアだろうか。皆伝の麻雀だろうとなかろうと、随分あっさり終わってしまった。某「船上麻雀」ほどの長さとユーモアではなくても、もう少しやって欲しかった。本編と直接な繋がりはないにしても、短すぎる。同時に考えるのは、嶺岸氏と雰囲気や構成が似ているため親しみを感じている若い漫画家であり、この人も過去の描き方が変になってきつつあるのだ。しかし若い漫画家の方は暫く過去を描く機会がなかったため仕方ないとも取れるが、天牌の方は過去の描きすぎでネタ切れが生んだものらしいのだから。帰ってきた陽一を黒流会の代表たちが出迎えてるけど、他の人とのコンビではこのような出迎えを否定していたのに。作者の違い、港と刑務所の違いからなのだと分かってはいるが。
この巻で初めて陽一の評価が上がったのは不本意ではあるが、それほど悪いことではない。黒流会とセットの時の彼の人柄は、あまり良いものではなかったから。彼らと距離を置くことによって自分を見つめ直したというところか。できれば田浦姉弟や八角五郎や健次郎も「先生」、健次郎、中釜とそれぞれ切り離して欲しい。しかし、それで彼らの性格を変えたり器を大きくしたりするには遅すぎる。もちろん評価は上がらないし以前のようには戻らない。仮に作者たちが瞬や賢治や「先生」の器を変えようとしても。
婆さまは津神が悪人とは限らないことも知ってたんじゃなかったの? ここまで黒流会にベタ惚れしていたら、若い頃の彼がどんな人だったかを語るのは難しいのでは? 海輝と賢治の症状、正也と静香のこと、微展開バレになってしまうが「先生」の体の異変、賢治が「先生」のことを渋谷でも気遣い続けた理由と同じように、あってもなくても構わないもの・無駄と揶揄されても仕方のないものになってしまうのだろうか。