遼、危機一髪!? と思ったら夢…。しかし、見開きで目覚めなくても。その後の智美との不安は必要か? 後で津神から「お前さん、王に殺される夢を見ているんだろう?」と言われるのだし。それに、その回(津神に会う回)は50巻には収録できなくても、賢治が仲間への想いと自分自身の欲望とに葛藤していく暗示のある回は入れられたかもしれない。大阪で暮らす瞬が、彼やよっちんの成功を信じるシーンがあるのだから、弱気な遼は見たくなかった。よっちんの葛藤は少しはよくなったのだろうか。
瞬に二人を思い出させるきっかけは、学生選手権の打ち手・小林だ。京都の彼が大阪にいるのは不思議ではないし、一度きりの予定だったゲストキャラを再登場させることはよくあること。しかし、小林でなくてはできないことをもっと見せて欲しい。
遼の変化も小林の登場も、3〜43巻にも渡る暗い背景と陰鬱な展開の数々も、ネットの影響だともいわれている。遼が気弱になることは新宿戦終了後に予想されていたことだし、小林は遼・北岡ほどの人気者ではないが「某ちゃんねる」で話題がなくなると名前が出るキャラなのだ。
作者もネットの期待を裏切るようにはしているだろう。暗さ・陰鬱さはなくなった。遅すぎという感じがしないでもないが。瞬が再び活躍し、よっちんも賢治も渋谷戦終了後も生きているし「あしたのジョー」化はしていない。健次郎と八角は本当に引退し、義理(黒流会代表として)中心で打つのはやめてしまった。後輩の陽一にすべてを預けきれず自分たちで判断することはあるが。健次郎はよっちんや陽一の胸のうちを知りつつも、深入りはできない。よっちんへの蔑みは減ったが、よっちんは彼らを許しきれない。北岡も渋谷のおばばも8月現在出番はない。海輝も生死不明のままだし、警察も事件に介入した様子はない。津神の方が、中釜に敵意を剥き出しにするようになった。奥寺が家族優先のアウトローにはなれなかったことは残念だったが(一般的なイメージとは違うアウトローもいるという意味で)、ネットの期待を裏切ったという意味なら、それもいいだろう。賢治もあの状況で健次郎たちに勝ちたいとは思っておらず、本当は対戦にかけた呪いが自分にかかることを望んでいたのかもしれない。
しかし、一方で対戦を棄権してから8月現在よっちんが一度しか登場しておらず、中釜は本心かどうかは不明だが(津神に憧れる人に悪印象しか抱いていないらしい)彼を「廃人」と表現している。陽一が健次郎と八角の決断に反発するところは描かれず、黒流会はいったん退場した。瞬の困惑の原因は頻繁に変化し続けている。瞬の名前や話題は出ない。大人たちは若者たちほど疲れない。東京の対戦は今度も大人たちだけで行われるのか? 渋谷戦は北岡を残すことで、誤魔化していたが雀卓を塩で清めるのはやはり大人のする儀式だろう。健次郎も北岡を「坊や」と言うが、邪道作戦も「慰め」作戦もしていないのだから。賢治は王さんの部下からも「気味が悪い」と表現されている。王さんは中国人ということになっているから残酷さはあるが、善悪などは健次郎・中釜たちよりもわきまえているらしいという設定なのだ。しかし、部下は…。瞬への「関わった人を狂わせていくことを表す言葉」、よっちんへの「堕ちる」、正也・市居への「薬物絡み」(河野高志は違法薬物は扱わない)という形容がなくなる時は来るのだろうか。関わる人を狂わせるたびに堕ち、その際の表情が気味悪いのは他のキャラも同じなのに、なぜ瞬たちだけが? などの問題が残されている。
もちろん、今までやらなかった新しい手法が、ネット受けするものだったという可能性もあるだろう。しかし、新しさを暗さや陰鬱さに頼るべきではなかった。せめてこれ以上本当の意味でも表現でも誰も死なず、麻雀をやめる人も出ないことを祈ろう。外伝のように引退すれば救われるというものでもないのだから。