八角五郎、偽りのかっこ良さから脱却。これまでは健次郎・北岡静一と同じように、かっこ悪い所をある種の好意的な雰囲気で描かれてあった。情けない面は情けなく描かないと、本当のかっこ良さは見えてこないと思う。北岡もそのように描いて欲しいけど、彼は一部で人気が高いので、このままでいくのか。健次郎はこのままで行って欲しい。よっちんだけでなく入星にも癒しをあげることはできなくなったが。
瞬の活躍もしばらくなしか。これまでの展開だと、ステップのインテリア(実際にあったら触りたくなるような動物の置物やタオル掛け、冷蔵庫など)に油断して負けたとなりそうだけど、それはないだろう。鳴海を登場させた意味がない。よっちんや遼たちと同じくらい苦しめよ! 立ち直るときに入星や黒沢に頼るなよ。
瞬の現状は菊多賢治は知らないはずだが、何かを感じたのか、それとも健次郎の偽善(ちょっとでも後ろめたい感情があるなら「怨念」という言葉は言わないだろう)を利用したのだろうか。自分がさらに好奇心で見られるのも構わずに、言葉にできない思い「彼を蔑むな! 彼のような強い覚悟があるのか。過去にも運勢にも頼らずに立ち向かうような覚悟が!」を別の表現にして伝えていく。認めざるを得なくなっていく打ち手たちの中で、八角五郎は狂気へと走るのだが、よっちんや津神(でなければ、いくら彼でも刺青を彫らせたりはしないだろう)が体に刻み付けたものほどの苦痛を感じるのだろうか?
嶺岸作品では、人と人とは意外な形で繋がっているもの。途中に挿まれたよっちんの「現状」は本当なのだろうか? 健次郎と「雅」のママとが知り合いという可能性(黒沢を通じてかもしれないし、表の仕事関係かもしれない。どちらも推測だが)も皆無ではないのだ。