熱海戦、何がなんだかのまま終了。理不尽さが度を超えるか超えないかで終わったのはよしとするか。赤坂戦や渋谷戦での理不尽は異常だった。熱海戦も祥吾さんが肩に二度目のダメージを受けるのは確かに理不尽だが。臼田や八角五郎や海輝の両親はもちろん、中釜や津神といった外見では想像もつかない人たちまでが逆恨みを引き摺っているが、彼らは「大人」だからやや大目に見られているのだ(北岡は例外だが、彼はいい加減な性格だから)。それぞれが「逆恨みの引き摺り」ではすまされない行動を起こしてしまうが、そこから来る後遺症が「代償」だと気付くこともない。
遼が新宿戦後、王さんに消されるのではないかと怯えるのは逆恨みというより「暗黒な国だから」の方が大きいようだ。しかしなんでまた「暗黒な国だから残酷なことをして当然」みたいな描き方をするのだろう。この原作者とのコンビだろうとなかろうと、必ずしもそうとは限らないと伝え続けてきたのに。王さんが関わる新宿戦よりも、関わらない渋谷戦の方が理不尽だったのは、暗黒な国の凶器よりも残酷なものがあると描こうとしたためだろう。これも本来の目的ではすまされない状態になってしまうのだが。
津神が北岡とよっちんを見に来るのに、なぜ賢治も一緒なのだろう。一言も喋らないし、描き方にも力は入っていない。津神のよっちんへの後ろ暗さを描くためなら、彼と別れて一人で見に来ても成立するのでは? 遼と知り合った時は彼とは一緒ではなかったのだし。賢治の目には津神がよっちんのひたむきさに打たれたように見えたのだろう。渋谷戦から外されたのに怒りは感じたが、よっちんの強さを認めたことは嬉しかったのかもしれない。だとしたら、よっちんの体の異変のことは知らなかったのか。賢治も「逆恨みの引き摺り」には勝てなかったのだが。
この巻の東京は、それでも平和だ。熱海から帰った瞬も、束の間の平和を噛み締める。祥吾さんを見舞った帰り、すっかり別人のようになってしまったゆかに気付いたのは、心が平和だったからだろう。平和な状態でないと気付けないのは悲しい。自分をよく知る人たちに会わずに大阪に行った瞬が、祥吾さんや二つの対戦とその後遺症を知る時も、そのような状態なのかもしれないと思うと。