27巻を読んで、多くの読者は本作の先行きを危ぶんだことと思う。
教授を記号化どころか表象化しただけの、まさに抜け殻のような一冊に。
それが、今回の作品では、完全に払拭されている。
決してあのまま、褪せることはなかった。それを喜ぶ。
彼の魅力は、全く「天才」というところにあるのではない。あれは飾り言葉だ。
彼の異質なところのひとつは、いさぎよき人生観である。
それを「達観」ではなく「探究」としているところ、
あくまでも信じるものは仮設にすぎないことを前提とした考え方、それは天才というより、誠実な科学者のビジョンだ。
そういう潔さは、もまれ、やっかまれて、他者から訳もなく歪め奪われようとするものだ。
この作品の妙は、まさにそれを奪われんとする子どもの傍に、教授を置いたところにある。
彼、そしてその次には子供たちを歪めんとする社会に対して、
彼は歪みそのものを認めつつ、自らのそれこそゆがんだ真っ直ぐさを相手にも認めさせる。
そんなにうまくいくだろうか、だけど、うまくいくように思えてならない。
言葉が通じないところに共感など生まれるだろうか。それは不可能だろう。
いや、そこに共感があるとするのが、この作品の素晴らしき、勇気を与えるフィクションである。