近頃、脳の衰えを感じること多々あって本書を手に取った私ですが、思いがけず興味深く読ませてもらった箇所は、特に実用的な観点から書かかれているわけでもない最終
章の部分でした。
私も筆者と同じく、脳だけ取り出してしかるべき部位にしかるべきタイミングで刺激を与えさえすれば、脳は自分が普通に日常生活を送っていると思うに違いあるまい、と
考えていたクチですから、記憶だけ移しても心とは繋がらないだろうという予測には、少しがっかりし、けれど何故だか少しほっとしました。
ちなみに筆者は、「こころが脳とは別の場所にあると信じている人たちとは永遠に話がかみ合わないでしょう」とあとがきに書いていますが、私も同感です。
本題に戻ります。
私もかつては天才にあこがれました。ユークリッド、ガウス、ヒルベルト、ゲーデル、ガリレイ、ニュートン、アインシュタイン、マクスウェル、シュレーディンガー、フ
ァラデー、カルノー、等々、等々。そんな超絶天才達は数え切れないほど大勢です。しかし、人類の歴史からするとほんの僅か。むろん本書の目的はそんな超絶天才を創るこ
とではありません。そもそも脳の重さは3歳までの間に大人の9割にまで達するそうで、おそらく脳という器の大分部はそのころまでに決定するとのこと。そう言ってしまえ
ばミもフタもありませんが、ご安心を。脳を鍛えることは成人してからでも可能だし、そうすべきだ、というのが本書の趣旨でもあります。
で、天才や秀才とは自らの器との相対的な関係であることをまず理解しなくてはなりません。自分の器の中の常識を外れて閃きを感じたとしても、より大きな器を持つ人か
らすれば、それは常識の範疇だということです。
じゃ、才能の器ってどこのこと?って話しになるのですが、それは本書によれば前頭前野になります。
ネコはしごの例からも分かる通り、脳は側頭葉から既知の知識や概念を取り出し前頭前野で論理的に思考し言葉として未知のものをイメージ化します。
器の大きさは知恵や知識量に比例するのですが、知恵や知識などの「情報」は脳の前頭前野以外の場所に入っています。が、実は、知恵や知識を身に付けるトレーニング自
体が前頭前野を鍛えることを、筆者は脳の科学的な計測によって発見したのです。
ちなみに、脳の神経細胞は子どもの頃が一番数が多く、その後は減っていくのですが、脳は、その神経細胞同士をつなげる神経繊維を増やしていくことによって発達してい
くそうで、そこに遺伝的要因はほとんどありません。遺伝子に、閃きの才能を持つか否かは書き込まれていない事実から、子どもの才能の器はその子が育てあげられていく環
境によって決まるということです。
で、子育てにおいて重要なことは親が子に話しかけてあげることだそうです。何故かは知りませんが、子に話しかけてあげる役目は他所の大人では駄目なのであって、他人
に預けることばっかし考えている近頃の親に、『自分の子どもくらい自分で育てなよ』と言いたい向きには、きっとこれには溜飲を下げる結果となったことでありましょう。
ところで、難しい計算を暗算でするより紙と鉛筆を使う方が脳が活性化している、との事実ですが、どうにも私には理解し切れないものがあります。筆算だと正常なプロセ
スで行うところ、暗算では頭の中に算盤がイメージされ絵的に、直感的に解答を得られるような感じで、むしろ本人にはラクなのでしょうか。するとプロ棋士など、普通に指
すより目隠し将棋をした時の方が、脳が沈静化されるのでしょうか?一般人には到底不可能な荒行故に、活動が脳の一部に極度に集中し、あたかも脳が黙しているかの如く。
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なお、前頭前野の反応としては、癒しも極度の緊張も、同じ反応を示すという事実は興味深いです。もちろん音楽を聴いている時などは前頭前野も内観も癒されているので
すが、見ず知らずの人と対面し極度の緊張に陥った時なども前頭前野の活動は低下すると。さらには犬猫と戯れ、まさに癒されているであろうその時、実際には前頭前野が活
発に活動するという事実。
ちなみに飲酒をする人は前頭前野の神経細胞が死にやすく、アル中になると前頭前野が萎縮し、さらには機能障害まで起こすことがハッキリ分かっているとのこと。私は家
では飲まないのでアル中にはなっていないと思いますが、外では大量に飲むことが多いので『つくづく気を付けよう』と、心の底から思いました。