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99 人中、87人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
お気楽な凡庸から責任を伴う高貴へ,
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レビュー対象商品: 大衆の反逆 (中公クラシックス) (新書)
「政治を政治屋にまかせっきりにしてはいけない。国民は政治に参加せねばならない」よく聞く言葉です。ではどう参加したらよいか。この問いに答えるのは、難しい。しかしオルテガの炯炯とした洞察が、歴史を通じて問われてきたこの問いに、迫力ある答えをだしています。オルテガのいう「大衆」とは「庶民」とは違います。「大衆」とは「凡庸な精神が自己の凡庸であることを承知の上で、大胆にも凡庸なるものの権利を確認し、これをあらゆる場所に押しつけようとする」人々のことです。 民主主義は、衆愚政治に陥りやすい。なぜなら、担い手は凡庸さに開き直り、あまつさえ、あらゆる場所にその凡庸を押しつけるから。この問題はプラトンも'指摘し、ニーチェが「最後の人間」に象徴したとおりですが、全く今この時代の課題でもあります。このどんづまりの状況をどうすればいいのか。 オルテガは、「選ばれた少数派」の登場にかかっていると訴えます。選ばれた少数派とは、単なるエリートのことではありません。社会階層に関係なく「たとえ自分に課した高度の要求を果たせなくても、他人よりも自分に厳しい要求を課す」気概ある人達のことです。 アングロサクソンにおいて、その気概は「ノブレス・オブリージ」となって表れ、我が日本では「武士道精神」となって花開きました。今の言葉を使えば、「公」に貢献し、「公」を護る意識に通じるのではないか。 マキアベリの君主論が、「為政者のための政治手法の古典」とすれば、この本は「責任ある市民のための思考の古典」と言えると思います。「いかに統率するか」リーダーからの視点でなく、「いかに参加するか」という国民からの視点で書かれた政治参加論とも言えましょう。 政治論にとどまらず、文明と人間への秀抜な考察を加えています。この値段で、文明と人間の洞察のオンパレードを楽しめるなんて、読んでソンはありません!
10 人中、9人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
魅惑の文体、真摯な内容、しかし反作用も,
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レビュー対象商品: 大衆の反逆 (中公クラシックス) (新書)
スペインの思想家オルテガが1930年に著した書。その書名「大衆の反逆」は以前から聞いたことがあったが、そのなんか大仰な響きに気後れして、なかなか読むことがなかった。ひょんなことから読んでみると、その読みやすさ、どこか詩的な文体、捉えたら離さない語り口で、最後まで一気に通読してしまった。ここで「大衆」とされているのは、他のレヴュアーさんも仰っている通り、実社会の特定の階層を指しているのではなく、その特有の諸属性を持った人々のことだ。対照的に挙げられている「貴族」も同様に特定の社会階層の人を指すとは限らず、「大衆」と正反対の諸属性を持っている人々、特に、自分より高次の何事か・何者かに奉仕の念を持って判断・行動し、他人に対してより自分に対して多くを求め、課している生き方を何度も強調している。 非常に求心力の強い語り方が最後まで続き、わが身を振り返って身につまされること、反省すべきことを多々感じた。しかし同時に、この書で説かれている事柄、語り方は、社会的高所に立つ人々が下々の人々に向かってそれを用いた場合、非常に抑圧的に、統制の強化を正当化してしまうのではないか、本書の内容に相違して、オルテガの言説もファシズムと強い親和性を持ってしまうのではないか、とも思えてくる。個人個人が読んでそれぞれの内面をチェックするのにはとてもいい本だが、統制者がここでの議論を被統制者に向かって押し付けると嫌な感じになるだろうな、と少し危惧も覚えた。とはいえ、読んでタメになるし、自戒の気持ちも抱ける名著なのは間違いなし。
20 人中、17人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
古典にしては読み易い,
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レビュー対象商品: 大衆の反逆 (中公クラシックス) (新書)
『社会学がわかる事典』-森下 伸也 (著)p.136にオルテガの大衆観がまとめられているので、それを引用しつつ紹介します。↓大衆の特徴 “1.非常に均質的・画一的で、突出した個性を持たない。 2.何事においても他律的で、他人や世論に同調し、あるいは自分に同調を求める「烏合の衆」である。 3.理想や使命感や向上心など無縁の存在で、自分の現状に満足しきっている。 4.文明の恩恵が自動的に享受できるのを当たり前と思っており、文明や伝統に対する畏敬や感謝の念、 また、未来に対する責任感を欠いた「忘恩の徒」である。 5.自分たちが一番偉いと思い、自分たちのわがままをどこまでも押し通そうとする「駄々っ子」である。 6.精神性などかけらも無く、物質的快楽だけを求める「動物」である。 7.以上のような自分たちのあり方を、何が何でも社会全体に押し付けようとする「野蛮人」である。” この特徴を逆転させたものがエリートだが、 オルテガは、上記のような大衆が主権を持っただけではなく、 エリートたるべき指導的階層の人間が大衆化していることが問題だと考えた。 また、オルテガはファシズムやボルシェヴィズム等の反自由主義体制が、 「時代錯誤」(p.116)である点を指摘し、強く批判しています。↓本書(大衆の反逆)より抜粋 サンディカリズムとファシズムの相の下に、はじめてヨーロッパに、 理由を述べて人を説得しようともしないし、自分の考えを正当化しようともしないで、 ひたすら自分の意見を押しつけるタイプの人間が現れたのである。 これは新しい事実だ。理由をもたない権利、道理のない道理である。 この新しい事実の中に、私は、資格もないのに社会を支配する決意をした 新しい大衆のあり方の、もっとも顕著な特色を見るのである。(p.86) ボリシェビズムとファシズムは、二つの偽りの夜明けである。 明日の朝をもたらすのではなく、何度も経験された昔日の朝をもたらすのである。〜中略〜 われわれが十九世紀の自由主義を乗りこえる必要があることは疑う余地がない。 ところが、それはまさに、ファシストのような反自由主義を宣言する人間にはできないことである。 なぜならば、それは―つまり、反自由主義あるいは非自由主義は― 自由主義以前の人間のとっていた態度である。(p.113-114) この論文で私があえて主張しようとしている最大のことは、 革命あるいは進化は歴史的現象であってもらいたい、 時代錯誤であってはならない、ということである。(p.116)
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