纏まった形での古代史で、井上光貞の中央公論版以来の期待感を持って読んだのだが、40年近く経っても、なかなか、大きな飛躍は望めないものだなあ、と歴史学のたいへんさを感じた。大筋として、大発見で、そんなにはなしが変わってしまっては居ないし、40年前に良く分からないことは、依然としてよく分からないのだ、ということが良く分かった。考古学的な発見は、かなり近年のものまでフォローされているが、なかなか「記紀」にある叙述の「真実」を明らかには出来ないものらしい。中国韓国への奇妙な「配慮」は大分遠のいて、普通に書いているほうだとはおもうが、それでも、どことなく記紀の記載より、好んでアンダーエスティメート気味に倭の力を記載する風潮は残っている。もちろん記紀の内容も夜郎自大的なところはあるだろうが、4世紀に海峡を渡って半島で、広開土王に敗れるまで新羅百済をやっつけた実績は、かなり重く見てよいと思うのだが。19世以降のネーション=ステーツ的な国家観など通用する筈がない当時にあって、その尺度で物を見て、任那のような存在がなかったと断言したり、半島への影響力を過小評価する傾向が感じられるのは残念な気がする。こんなことは自国愛とか保守とか差別とかそんなはなしとは関係がないわけで、もう少し過去の記述に即して考えても良いのではないか。そういう意味では井上光貞版はかなりフェアーだったし説得力があった。