江戸時代とはいったいどんな時代だったのか?
それは「水戸黄門」や「遠山の金さん」などの時代劇を見るだけでは知ることはできない。
なぜならそれらは「時代設定」が江戸時代なだけであって、そのなかで描かれるのは現代の脚本家によって書かれた、現代の価値観が支配するドラマであるからだ。江戸時代は日本が近代化する以前の世界であるから、本当は我々の想像の域を超えたものなのかもしれない。
このように身近なようで身近ではない世界、そんな江戸時代に氏家幹人はセクシュアリティやアンダーグラウンドなどの独特のアングルから光を当てる。
この『大江戸死体考』はその名のとおり江戸時代の「死体」についてあつかった本だ。膨大な文献を紐解くことから分かるのは、江戸時代という世界の(現代からみれば)ミステリアスな魅力だ。
水死体の異常な多さに検死する者が大忙しだったこと、刀の切れ味を測る「試し切り」に死体の胴を使われていたということ、その試し切りを見るための人だかりができていたこと、人の臓器が薬として売り買いされていたということはみな、現代を生きる我々には、江戸時代の民衆特有の猟奇的な欲望があったのではないかと思わせる。
しかしそれは、間違いだ。価値観は全領域に広がっているように見えて、空間と時間によって固有の領域がある。例えば国境を越えれば、食べないものも普通に食べる(韓国においての犬のように)。同じく現代の平和な日本においてこそ、亡くなった者の亡骸は手厚く葬られているが、時代が違えば死体のあつかい方もかわってくる。この本を読むに、江戸時代の民衆にとって死体は現代とは違い、より単純な物質として考えられていたのではないだろうか。
少なくとも(近親者のものではなく)死体一般に対しては。
今ではそれは空想することしかできない。
しかし空想の中だけだからこそ、我々はかの時代にミステリアスな魅力を感じざるを得ないのではないだろうか。