ハーバーとボッシュが空中窒素の固定に成功して、アンモニア合成を実用化させたことは、よく知られている。二人の業績については、高校の化学の教科書に記載されている。しかしながら、ハーバーが第一次世界大戦において毒ガス兵器の開発に狂奔したことは、それ程広く知られているわけではない。1918年にノーベル化学賞を受賞していながら、ハーバーの名前が一切言及されない化学史の成書がある。(例えば、K. Laidler, The World of Physical Chemistry, Oxord University Press, 1993)一方、ボッシュとベルギウスは高圧の化学反応装置を開発し、アンモニア合成と石炭液化による人造石油合成を実用化させた。ボッシュはバディッシュ・アニリン・ソーダ会社(BASF)において、アンモニア合成の工業化を実現させた。この業績に対して、1931年のノーベル化学賞が授与されている。ハーバーとボッシュの二人に共通する点は、単に豊かな学識をもつ人間であっただけでなく、組織を管理・運営してゆくための才能に恵まれていたところにある。この二人の化学者を見る眼差しは、その功と罪のどちらを重視するかによって違ってくる。食糧を増産するための肥料生産を工業的な規模で可能にした点は高く評価される。その一方で、人口の増加につながり、窒素肥料の大量使用により、河川・湖・海洋中の窒素分、特に硝酸塩濃度が上昇し、生態系に深刻な影響を与えている。アンモニアは肥料となるだけでなく、火薬・爆薬として使われる硝酸塩の原料にもなる。ハーバーとボッシュにより空中窒素の固定化技術が開発され、工業化されてから、おおよそ百年が経過している。この間に2回の世界大戦が勃発している。ドイツ軍が、第二次世界大戦中高圧の化学反応装置により生産された人造ガソリンを使用したことは、記憶に留めておくべきであろう。科学技術の成果が応用されたとき、そこに功と罪の両面が生じることと職業倫理について考えさせられる。