日比谷焼討ち事件から満州事変までの時代に吉野作造がどのような評論を行ってきたのかということを縦糸にa)民本主義b)マルクス主義・社会主義c)国粋主義ーという三つの主張が鼎立していた時代を描いています。成田さんは《三者は「近代」のさらなる追求(A)と、「近代」の克服や否定(B,C)という対立軸を持ち対抗すると同時に》p.238の図に詳しいのですが《A-B-Cが互いに支えあう局面を有し、重なり合う部分に位置する人物や団体もある》(p.237)というまとめが非常に分かりやすい。意外だな、と思ったのが借地権の発生。これは「旦那衆」によるブルジョワ改革だったんですな。「旦那衆」である都市の中小商工業者は、江戸時代以来の借地に店舗を構え、老舗として営業していたというのですが、日露戦争後に地価が高騰しため《借地人である旦那衆は、弁護士たちの力を借りながら行動を起》し、借地権を獲得していったというんです(p.13)。
大正デモクラシーの時代というのは、不十分ながらも台湾、朝鮮の植民地人に対する態度への反省が生まれてくるのですが、司馬史観ではちょっと甘々に書かれすぎている台湾の植民地経営に関して、1915年に起こった武力抵抗運動によって、866人が死刑にされるという西来庵事件が起こったことなどがキッチリと指摘されています。《武者小路実篤は『八百人の死刑』という一文で西来庵事件に言及し、「数百人の人間を死刑に処して平気でいられる人間の顔が見たい」と台湾総督府を批判した》(p.136)そうです。