97年岩波書店から単行本として刊行された作品の文庫版。
大杉栄に関する多くの文献を検証、読み解くことによって、大杉栄の思想の根底にあるものを掘り下げ、その人物像を描き出そうとする「評伝」作品。
筆者は、鎌田慧の信ずる主義、徹底した反権力思想を全面的に受け入れることができないのだが、発表される作品には信頼を置いている。
ノンフィクション作家として長く活動しながら、労働者(弱者)からの視点、反権力の視点がまったくぶれず、足で稼いだ丹念な取材、多数の文献の検証から描き出される作品を発表しているからだ。裏を返せば、時代の変化や流れを読み取れない(あるいはあえて背を向ける)、連帯の思想に囚われた頑迷な作家といえるのかもしれないが、一貫した視点を持ち続けるというのは大事なことだと思うし、こういった時代だからこそ必要といえる貴重な作家だと思う。
筆者は、「評伝」というのは、取材や文献の検証が徹底されていれば、そこから導き出される人物像をどう描くかは、作者に与えられた特権であり、たとえそうやって描かれた人物像が、読み手である筆者の考え(印象)と異なっていても、それは優れた評伝であると思っている。
本書においても、著者が文献の一言一句まで丁寧に読み込み、書かれていることばかりではなく、その裏に隠されたものを読み取ろうとしていることが伝わってくる。著者ならではの力作だ。
最終第9章「疑罔」では、大杉栄、伊藤野枝、橘宗一が虐殺された事件の真相に迫ろうとしている。そこで、著者は(筆者にとっては)思いもよらない推測を“最後に”導き出している。事件における「甘粕大尉」の位置付けだ。それはちょっとどうかな、とも思ったが、筆者にはそれに反論する根拠がないこと、著者がその根拠を充分示していることから、ひとつの推測可能な真相として受け入れた。
「ひとりの物書きにとっても、大杉の自由と生の拡充にむかった精神の軌跡は、孤立してなお連帯を信じて書くための大いなる励ましとなっている」
これは、文庫版あとがきの最後を締め括る文章だが、「孤立して」という言葉が印象に残った。
このあとがきは03年に書かれたものだが、これは、社会情勢の変化、労働者の意識の変化などによって、鎌田慧の信ずる連帯の思想が衰退の一途を辿り、彼自身が孤立感を深め時代から取り残されそうになってもなお連帯を信じて書き続ける、という悲壮な決意表明なのだろう。