『大学でなにを学ぶか』
というタイトルを見て、学部学科選びのガイドの類かと思っていたが、違った。
しかし、だからこそ読了後に得たものは単なるガイドよりも参考になった。
著者は本書の中で、教養とは何かを説き、
その教養こそ大学生活で身につけるべきである、と述べている。
著者は戦前の旧制大学と新制大学、そして現在のマス化した大学を比較し、
学生だけでなく、大学もいかに変化していったかを淡々と述べている。
大学が少数のエリートのものでなく大衆に解放された時、
受験戦争や就職戦争が始まった。学生も企業も、社会で使える技術を大学に求め、
大学側も入試と言う技術的な方法で選抜を行う。
情報化によって履修すべき専門科目が多くなり、教養科目は減っていった。
またそれだけでなく、学生の側でも教養科目を忌避するようになっていった。
しかし、専門的技術だけを身につけても、その知識を上手く使うことが出来るのだろうか?
ロケットの発明者は、月より先にイギリス目がけてロケットを飛ばし、
原子力は発電より先に爆弾に利用された。
著者はかつて「象牙の塔」と呼ばれていた大学を「バベルの塔」に例えてこう述べる。
「バベルの塔はなぜ廃墟となったか。
『聖書』は言葉がおたがいに不通になったためだ、と記している。
実は、現代の科学も言語不通である。
物理学者のいうことは経済学者にはわからないし、哲学者のいうことは技術者にはわからない。
一般的にいって科学者や技術者は、思想の問題を理解できなくなっている。
/思想のない人間は内容が空洞となった人間である。
衰弱し空洞化した人間が、はたしてこの天に達しようとする現代の科学技術を使いこなしていけるであろうか」
政治家・官僚・学生にかつての教養が失われたと言われて久しい。
しかし、かくいう私達はマスコミの伝える情報に左右され、判断力を失いつつある。
大学の制度や学生生活の説明には若干古い箇所が見られたが、
著者がそれらを通して伝えたかったことは、なお新鮮である。