大唐西域記、ときいて多くの人が反射的にシルクロードを思い浮かべるのではなかろうか。だが本書では、いわゆるシルクロードについてはその大半が端折るか、省かれている。たいてい「某国は東西千余里、南北千余里。国の大都城は周囲二十里である。東して葱嶺に近づけば次の国に到る」と言う調子で済まされ、バーミヤーンに至って筆は漸く細かくなる。当時長安から砂漠を越えヒマラヤを越えてインドに達するには想像を絶する困難があっただろうが、玄奘はまるでジェット機で飛び越えたかのようだ。
これはインドレポートなのである。タイトルこそ大唐西域記となっているが、実際にはインド及びその文化圏に属する各地の様々な仏教遺跡やそれにまつわる逸話でほぼ構成されている。考えてみればこれは当たり前で、玄奘の目的地はインドだったのだから、途中の小国寒村はなべて関心が薄かったのであろう。第三巻の後書きで本書を玄奘に書かせた唐の太宗が政治的に重要な部分を公表させなかったのだという説を紹介しているが、興味深いにしても根拠はあるまい。玄奘がただ自分の興味のままにインド仏教について書いたとしても充分説明できる。
それにしても、我が国に於いて人々が大唐西域記・玄奘から反射的にシルクロードを想起するほどになってしまったのはどういう経緯なのだろうか。天平の甍など井上靖作品だろうか、あるいはNHKの新・旧シルクロードシリーズの影響だろうか。とまれ、大唐西域記または玄奘と聞いてすぐシルクロードと答える人は、本書を読んでいないこと必定というわけである。