「舞姫」「こころ」「羅生門」「山月記」「永訣の朝」といった誰しもが一度は目にしたであろう、いわゆる「名作」の高校の指導要領での扱い方を、いわゆる「テクスト論」的な読み方で洗い直した一冊です。小森陽一氏の著作を何冊か読まれた方なら新鮮味はあまり無いかもしれません。個人的なことになりますが、二十数年、高校で教えてきた者の実感でいえば、「まえがき」に書かれている表帳簿と裏帳簿のような、たてまえとホンネの授業はそもそも大抵の進学校が表裏のカリキュラムを使いこなしているはず(今はさすがに少しは減っているようですが)の現状と比べれば、後ろめたさなど感じるに及ばない些事ですし、ロールプレイング・ゲームやインターネットによって膨大かつ多様な「物語」に晒されている、ある意味において「ませた」現代の高校生に上記の作品を指導要領に沿って教えても、あっさりその欺瞞性に気づかれてしまうように思います。ただ、教える側としてはこういった書物は一冊でも多く目を通しておくのに越したことはなく、古典などと違ってある程度自由な発言を許容することを余儀なくされる現代文の授業において、何を言い出すかわからない生徒に対する懐刀として非常に有用であることは間違いありません。僕自身は、ディベートや小論文との絡みから生徒が自分の意見を自由に述べる際には必ずその根拠か理由も一緒に言わせるようにしている(この習慣を最初に定着させておくと、授業を掻き回すのだけが目的であるかのような突発的な、そして得てして心ない発言を阻止でき、内省を促す沈黙を作ることができます)ので、こういう類いの本は目にしたら必ず読むようにしています。しかし、いつだったか、「羅生門」の終わりの部分で、ご多分に漏れず「下人の行方」について考えさせた際、ある女子生徒が「下人は羅生門に戻って老婆を殺すと思います、口封じのために」と答えた時には、まぁ、もっともな解釈ではあるかもしれないけれど、暗い日本の将来に思いが馳せ、しばし言葉を失ってしまいました。