大井憲太郎の自伝をマルクス史観の平野義太郎が描いている為に、大井の本質が全く見えなくなってしまった。これに輪を掛け、日本主義論争に於ける講座派より、労農派を批判するためのイデオギー的路線本となった為に、大井の持つ自由民権運動の本質が全く霞んでしまっている。
所謂、大坂事件がメインとなり、その他の大井憲太郎の事績が見えなくなってしまう結果となり、単なる駄本となってしまった。
特に50〜60年代のマル経史観が政治的目的を意図とする人民史観に汚染されすぎ、自由民権運動の歴史的解明も単なる日本共産党政治運動の一端に陥ってしまった感がある。正直、大井憲太郎について知るためには、巻末の参考文献を頼りにするしかなく、本書を読んでも理解不能である。歴史がイデオロギーに汚染されると、真相が見えなくなるという悪しき例として評価できず、大井を知ることが出来ない愚書としかいいようのない本である。