西郷隆盛・木戸孝允と並ぶ「明治維新の三傑」の一人、大久保利通の伝記漫画。
薩摩藩の下級武士の子として生まれた大久保一蔵。西郷とは3歳違いで大久保が年下の幼馴染である。
時は幕末。ペリー来航から薩摩にも攘夷の機運が高まる。だが、藩主の島津斉彬は開明派。
西郷も大久保も斉彬の手足となって日本の将来のために働いていくが、斉彬の死により挫折する。
やがて幕府との対立の結果、長州藩と共に倒幕派となった薩摩藩の中心人物はやはり西郷と大久保であった。
明治新政府の船出は予算不足と国民の不満に前途多難であった。
大久保は矢継ぎ早に改革を断行していくが、特権を持つ武士階級の切り捨ては故郷・薩摩のかつての多くの同志たちを窮状に追い込むことでもあった。
不満をかわすためにかつての藩主の島津久光や西郷を政府の要職に迎えたりもしたが、
結局のところ二人とも「大久保に都合のいいように使われた」と感じて対立し、下野していく。
大久保自身は決して人情味のない男ではないのだが、こと政治においては彼は個人的な感情は抑え、あくまで国家全体での広い視野で
物事を常に見る人間であった。それが時として「何事にもドライ」という誤解を生むことにもなる。
やがて故郷の薩摩でかつての武士階級を守ろうとする西郷との対立の末に「西南戦争」に雪崩れ込んでいく。
西郷は大久保にとって「兄も同然」の存在である。それを討たねばならぬ苦しさは筆舌に尽くし難いことであっただろう。
だが、ようやく日本がよちよち歩きを始めた頃、大久保の余命は後僅かであった。
私利私欲による権勢を振るうと誤解した不平士族に襲われ殺された。
もし、存命ならば初代の内閣総理大臣は伊藤博文ではなく彼であったことは確実であっただろう。
死後、多くの借金が残ったそうである。自分の収入さえも国家の為に注ぎ込んでいたのだ。
「私利私欲無く、公平な政治家だった」。いや、むしろ「公平過ぎた」故に誤解の末に悲劇の死を迎えた英雄である。