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16 人中、13人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
ユング派の夢診断ばかりだ!とお怒りの皆さまにおすすめ。,
By カスタマー
レビュー対象商品: 夢分析 (岩波新書) (新書)
「夢診断」はフロイトが元祖。それなのに、現在売られている夢の本はユング派ばかり。 元祖・フロイトはというと、古くさい内容のままの本だけ・・・。 そこでこの本。
25 人中、19人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
あり得べき誤解に抗して,
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レビュー対象商品: 夢分析 (岩波新書) (新書)
本書を一般読者が目にした場合おそらく感じられるであろう誤解。それは「夢は類型化などできないはずだ」といったものだろう。まず、フロイトは夢の解釈の際、「連想は本人に任せるべきだ」という点を強調し、その多様性を積極的に認めているのである。(詳しくは「夢判断」等を参照されたい) ただし、同時にフロイトは多様であるはずの多くの人が同じようなパターンの夢を見ることにも注目した。それが類型夢である。つまり、類型夢という発想はフロイトの勝手な妄想というよりも、むしろフロイトが観察とデータを重んじ、実証的であったことの証なのである。 夢を理論化する場合、「ひとそれぞれ」では理論にならないので、どうしても類型の方にばかり注目が向かう傾向があるようだ。一般にはフロイトは夢の象徴とその意味の対応関係を明らかにした、などと思われている。しかし、それはたいして重要なことではない。むしろ重要なことは「圧縮」「置き換え」などの夢の変形作業の仕組みなのだ。 (実際、フロイト自身にも地理的、歴史的、階級的等のバイアスがあったことは認めねばならない。例えばフロイトは列車の夢は、彼方への旅すなわち「死」を意味すると述べているが、通勤通学で日常的に列車を利用する現代人にこれは当てはまらないだろう。ここから直ちにフロイトを捨て去るのではなく、では何が現代人にとって「死」の象徴の位置を占めているのだろうか?と考えてみることが大切なのだ)。 また、本書は著者の周囲の人々の夢を素材としている。つまり転移集団が前提にあるということだ。著者は夢のメカニズムをなるべく形式的に記述しようとしている。それでも転移集団内部のディスクールを他人が聞くときの戸惑いをある程度本書の読者は経験せざるをえないだろう。 ところでいったい誰が赤の他人に自分の夢を語ったりするだろう?あるいは誰が好き好んで他人の夢に真摯に耳を傾けたりするだろうか?そうここにはパラドックスがあるのだ。転移がなければ深い分析は成立しない。深い分析がなければ理論は弱くなる。理論は形式的・普遍的でなければならない。ところが転移は個別的・排他的である。(フロイトの活動も最初は身近な知り合いを対象として始まった。同様の矛盾をフロイトも感じたことだろう)。 とすると、本書に書かれなかったこと、書けなかったことのなかにこそ真実があったはずなのだ。評価の星が一つ欠けているのは、そこから現実界(ラカン)に通じているというわけだ。 本書をパスポートがわりにさらに深く自分だけの夢の世界を自分なりに旅してみること、それが著者からのメッセージではないだろうか?
5 人中、4人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
死を想え,
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レビュー対象商品: 夢分析 (岩波新書) (新書)
新宮一成といえばこの本よりも『ラカンの精神分析』が有名。だがこの本はフロイトに回帰し、大学生(おそらく京大生?)が自らが見た夢について書いたレポートに対して、綿密な夢分析を敢行している。 読むと、氏は第一章の「空を飛ぶ夢」でその空飛ぶ夢を、幼児期に言語を獲得した瞬間の反復だと考えている。それは、言語を獲得する ことを人間の象徴的去勢の契機だと考えるラカンの理論に近く、そのほかにもファルスという言葉が頻出するあたり、やはりこの人は フロイトというよりもラカンの人なのだなあと。 中盤の夢の「累積構造」の分析もおもしろいが、この本の達見は「起きれば夢を語るだろうという予期によって、夢は初めて人間的現象になる」 と論じたところだと思う。「無意識は言語のように構造化されている」とラカンは言ったが、夢の中の語らいは無意識は昼間の語らいの蓄積で あり、また夢が昼間に他者との間で話題にされることで、それ自体も変容していく。夢と現実は相互補完関係にあるといえる。夢は語られない と消滅してしまうのだ。 そして彼は「このまま死ぬんだ」と夢で思って目が覚め、そのまま現実をしばらく「あの世」だと勘違いしていた被験者の例から、 夢:覚醒=あの世:この世という一般的な関係図式を逆転させ、夢:覚醒=この世:あの世という公式を打ち立てる。夢から醒めるのは、 生き返ることではない。むしろ、この世からあの世へ行くということの反復作業なのだ。 夢の中の僕の意識は消えてしまった(死んでしまった)。 でも、今なおこの実生活(あの世)でその夢(この世)に思いをはせることはできるし、人に語ることだってできる。そのような 死後へのかすかな期待をにおわすことこそが夢の効用なのではないか、と新宮一成は見出す。 人間は必ずいつか死ぬ。メメントモリ(死を想え)という言葉があるが現代人はあまりにも死を想わなさすぎる。医学の発達は喜ばしい ことだけれども、それは死が消滅するわけではなく、あくまで死期の先送りでしかない。僕たちは死からは逃れられない。毎晩見る 夢はそのことを僕らに素朴に語りかけてくる。 本書の論は飛躍しすぎだと言われればそれまでだが、新宮流解釈は死することへのささやかな希望を与えてくれる。
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