(以下本文プロローグより…)
ライト兄弟が飛行機で初めて飛んだのは一九〇三年である。
その距離はわずか三六メートルほどであった。
それから二四年の時を経て、一人の青年が長距離飛行の世界記録を樹立する。
その距離五八〇〇キロ、ニューヨークからパリまでたった一人での飛行に成功する。
その青年は、一九〇二年二月ミシガン州デトロイトにて産声を上げた。
ライト兄弟がこの街の南三〇〇キロのところで、まだ飛行機開発に勤しんでいる頃である。
父はスエーデンからの移民で弁護士、母は高校の化学教師である。
ライト兄弟が礎を築いた飛行機は現代社会に大きな発展をもたらしたが、この青年ほどその恩恵を大きく受けた人物も少ないだろう。
この青年の人生は、まさに飛行機との出会いにより大きく変わった。
一九二七年五月、世界で初めてニューヨークからパリまでの翔破に成功したこの青年、チャールズ・A・リンドバーグは、そのことにより歴史に名を残こすことになる。
当時ニューヨークからパリまで大西洋を超える飛行は、そのこと自体が命がけの冒険であった。
もしもその冒険に挑戦するのであれば、その飛行時間は三五時間ほどになるため二人以上で挑戦することが常識であった。
それを一人だけで挑戦することはあまりにも無謀なことである。
それにもかかわらず、リンドバーグがたった一人でニューヨークを飛び立ち、パリを目指したのはなぜだろうか。
それはオルテーグ賞の獲得を目指したからである。
オルテーグ賞というのは、フランス生まれのアメリカ人レイモンド・オルテーグがパイロットを激励し航空界を振興する目的で、五年以内にニューヨーク=パリ間を最初に無着陸飛行したものに二五〇〇〇ドルの賞金を出すと設定したものである。
当初これに挑戦できる対象者は、アメリカやフランスなどの第一次世界大戦の連合国側パイロットに限られていたが、五年過ぎてもこれを達成する者がなく一九二六年に再度設定され、その制限も外されたため全世界的なものとなっていた。
オルテーグ賞が長い間達成されなかったのは、飛行機が発明されてからまだ日が浅かったことで、ニューヨーク=パリ間の長距離を無着陸で横断できるような飛行機自体を、作る技術力に到達していなかったからである。技術的課題のなかで最も大きなものの一つは、信頼性のある…
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