この人以外他の誰にも書けない作品がある。あるいは、世のため人のため本当に書かずにはいられないとう衝動から生み出される作品がある。そういったテーマに出会った作家はとても幸運な人たちだ。しかしそれは、ごく一部の天才だけが享受することのできる特権である。曹達氏は、まさにそのような天才のひとりである。そのことに疑いの余地はない。たとえば、物語の筋書きのリアリティには驚愕するばかりである。自らが体験にしたことでない限り、つまりホンモノの不動産事業者でない限り、バブル期の不動産業界の内幕をここまで赤裸々に描写することなど、絶対に不可能なのだ。主人公である尾上に作者自身が乗り移っているとしか思えない。登場人物たちをとりまくオドロオドロシイ世界はわれわれ一般人からするとまるで別世界の話のようである。その毒々しさは私たち読者の恐怖心を煽る。
だが一方で、尾上が多額のボーナスを受け取った日に妻子とともにファミリーレストランへでかけ、その帰りに琵琶湖にドライブに行き、狭い車の中で家族四人で演歌や動揺をはちきれんばかりの大声で歌った場面や、下賀茂神社での映画ロケ現場に家族で出かけた場面などを読んでいると、無意識のうちに涙がポロポロと頬を伝ってしまった。物語の情景が具体的に映像として目の前に浮かんでくる。作者の描写力がなせる業である。登場人物であるアウトローたちが懸命に生き抜く姿、どこか憎めない彼らのキャラクター、そして転落してゆく(であろう)彼らの運命に哀愁を感じてしまう。しかし、不思議なことに、この作品は毒のある作品であるはずなのに、読み終えてみると、心の中に清々しい気分が漂ってしまう。菅山の生命力、そして、最後の梅子さんの登場シーンによって、ズッシリと思いはずの読後感が、すうーっと氷解され、爽快感だけが残った。このアーティキュレーションが凄い!
この小説は、一般の小説とは異なる性格を有している。20世紀末の記録としての歴史的価値である。世紀末を生きた人々の夢と希望と挫折と哀愁の生き証人だ。
不動産事業者として自らバブルを生き、かつ小説という形式でその記録を描くことができる人物は、曹達氏を除いて他には存在しない。後世の人々に世紀末バブルの実相を伝える記録を残すことは、極めて重要な社会貢献でもある。