フラココ屋という、センスが今ひとつの名前の古道具屋が舞台だ。そこの二階にふらっと居候のようなアルバイトのような青年?が登場する。実はこの人物、視点人物のくせに年齢も家族関係もはっきり描かれない。どんないきさつでここに間借りするようになったのか、最後まで不明だ。
そしてそのことを、少しずつ知り合う近隣のだれも気にしない。気になっているのかもしれないが、誰も尋ねない。瑞枝さんなんか、かなり経つまで名前すら知らないままで「君」と呼んですませている。
「僕」は、店の奥ののれんの陰に隠れるように、ちょっと非日常に逃げ込んでみたようなのだ。その希薄でしがらみの少ない人間関係ゆえに、かえって離婚の悩みや思わぬ妊娠を相談されたりするのだ。
だが、非日常はやがて日常へと変貌する。初めて見たフランスのアパルトマンの中庭が、次の日には昨日も見たおなじみの光景になっていくように。だからそれでいい。つながった関係に執着する必要はないが、無理に振り払うこともない。
主語の省略された文が、自然な自分の思いのように忍び込んでくる。