『夏草冬涛』は、大正時代の伊豆で育つ少年洪作の生活を描いた『しろばんば』の続きです。
中学生になった洪作は、三島の伯母さんのところに下宿し、沼津の中学に徒歩で通っています。優等生だったのに、成績が急降下しはじめた洪作。自分でも成績が落ちるのはまずいとは時々焦ったりしながらも、勉強より、一年上級の自由奔放な文学少年たちとの交流にひかれていきます。だからといって洪作自身がとくに文学少年なわけでなく、洪作自身は「友達次第で優等生にも不良にもなれる」ような普通の思春期の少年。従って「早熟で無頼な秀才文学少年の転落物語」といった濃い話ではないです。新しいものと出会ったり自分と違う世界をかいま見たりする中、いろいろな要素で影響されやすい思春期の少年の心のうごきが等身大でさらさらと描かれています。
「上品」で「都会風」な親子のところに遊びに行って出された羊羹の切り方の厚さにひそかに動揺したり、自分より後輩の少年がチェーホフを読んだというのをきいて「自分より年下なのになんでチェーホフなんて自分が知らない作家の名前を知ってるんだろう」と焦ったり、「成績が落ちたら伯母のところの下宿をやめさせ、寺に下宿させる」といわれて寺に行くのがいやで病気になるほど猛勉強したのに、自由奔放な文学少年たちに「寺?いいなあ」とうらやましがられた途端、寺も悪くないような気がしてきて、勉強するのやめちゃったり、「この小説読み出したらやめられないほど面白い」といわれて、「読み出したらやめられないような小説なんて本当にあるのか?」と思ったり。
このシリーズは、井上靖の自伝的要素の濃い小説(自伝ではないけれども)といわれています。作家が自伝的要素を主人公に投影して書く場合、頭の良さや早熟ぶりを強調するなどナルシシズムの要素が濃くなったり、あるいはナルシシズムに陥るのを忌避するあまり自嘲的自虐的になってしまったり、もしくは、小説を面白くするためにわざと主人公の「人と違った個性」を強調することも多いと思うのですが、そうならずに、どこにでもいるような普通の少年を書いていて、しかも面白いあたり、さすが大文豪井上靖だと思いました。