「日本の作家について論じようという時、ぼくらはある種の特別な困難を感じないわけに
は行かない。西欧の作家達は堅固な土台を持っている。ぼくらはその上に建っている建物
のみを、あるいはその建物の陰にいる大工のみを論ずればよい。…これを裏返せば、多く
の日本の作家は西欧的な意味での文学を書いていないということを意味する。」
この有名な書き出しに続き、著者は漱作の弟子や研究者達により創られていった漱石神話
(「則天去私」神話など)を丁寧に検証していく。
著者がまづ着目するのは、『文学論』という奇怪な文章に結実するロンドン留学。そこで、
漱石が遭遇した「深淵」。これこそ日本では稀有の近代作家夏目漱石を誕生させたエポック
だと言う。
明治以来、西洋における「近代」の問題を、個の「生」として直面し生きることもなく、
ただ西洋文学の形式を上っ面だけ「猿真似」している文壇。その空虚を埋めるが如く「芸
術か生活か」といったありもしない問題にふける始末(のちのプロ文や私小説も同じ)。
それらとは無縁なところで、漱石が孤独に遭遇した深淵こそ、彼を「最初の人」としたと
いうわけだ(のち講演で江藤は、鴎外を「最後の人」、漱石を「最初の人」と述べている「鴎
外と漱石」昭和41年)。
本稿発表は著者が昭和31年、若干二十三歳、慶大文学部在学中(早老ですよ)。
著者については、よく後年の保守論客への転換が云々される。が、すでに本作で漱石に共
振しながら、陰画の様に語られる著者自陣の自画像のうちに、「深淵」への直面と、公との
問題が内包されていると思える。
尚、江藤の生い立ちや思想については、小熊英二が『民主と愛国』で一章を割き論じてい
る。簡潔に纏まっておりお勧めできる。