神社・仏閣を三角形で繋いでもそれは「風水」ではないし、エネルギーは集まらぬ。龍脈上の龍穴になければパワースポットですらない。
それに神社自体は、鏡石=磐境=巨石信仰を背景にしているが、それが太陽崇拝と結合したものである以上、ある地方の春・秋分の日の出日の入り位置や、冬至・夏至の日の出日の入り位置を結ぶライン上に築かれることが多かったのは当然である。よって、もう一点を加えて三点を取れば三角形など幾らでも出来る。
さらに仏教的には、釈迦の眷属・護法善神として、阿修羅と迦楼羅が仲間なのは常識だ。興福寺でさえ、そのイメイジなのだ。大乗の六道の修羅界は帝釈天=インドラとの戦いのイメイジだろうが、それはヒンズーにまで後退した俗説にすぎない。
小周天・大周天に関する奇妙さは前作のレビューでも触れたので、こここでは詳説しない。
剣持が、狙われるに決まっている入院中の翔子に護衛の神将を最初からつけていないのはおかしい。ご都合主義だ。話が甘い。
というように、どんどん昔に比べて、話がやっつけになっている。
勉強した知識があまり有機的に結びついていないというか、ネタとして生きていない気がする。中期の脂の乗りきった頃への回帰を期待する。