最初は随筆かと思った。丁寧ながらも抑揚のない文体で昭和初期の東京近辺の様子や感慨が書き綴られている。完全な一人称系で進行し、細やかな描写は随筆そのもの。その中で主人公の小説家大江匡のどこか斜に構えたような生き様が生き生きと感じられなかなか面白い。ふとした出会いや女性との関係、現実味あふれる設定と主人公の挙動には著者の文章のうまさに舌を巻かされてしまう。情の通じ合いもほんの微かなものでありながら実に鮮やか。盛り上がりにこそ欠けるが読了後のどこか寂しい印象は気分がいい。後につけられた小さな著者の随筆も消えゆく東京の風景や習慣を惜しむ様子が同感できて非常に良かった。
星を一つマイナスしたのはいかにも随筆らしく冗長な所があり何を言っているのか分からない部分があったため。東京近郊の地名も頻出するのでそのあたりに疎い自分には少し残念だった。そのあたりを熟知している方ならば、現在の東京と昭和の東京を比べて著者の詠嘆と心境がもっと切に感じられると思う。
この小説が発表されたときは風俗や習慣のある大きな転換期であり、そういった背景があったからこそ失われゆく風景への愛着を暗に示したこの小説が圧倒的に支持されたのだろう。一種の寂しさを催させる一冊だと感じた。