出版社/著者からの内容紹介
遺体は何かを語りかけてきた……
520人、全遺体の身元確認までの127日を最前線で捜査にあたった責任者が切々と語る!人間の極限の悲しみの記録。
私は、愛する肉親を失った数千人の遺族の究極の悲しみの場に立ち会った。
どれもが、私の記憶の奥底に永遠に封じこめておきたい凄惨(せいさん)な情景である。できることならあの夏の出来事だけは私の記憶からすべて消し去りたいと思う。でも夏が近づくとあの情景が、もぞもぞと這(は)いだしてくる。忘れようにも、忘れられるものではないのである。それならば、今年はあの遺体確認捜査の責任者として1つの節目をつける年でもあると思った。
それは、夏から冬に至る127日間にわたる身元確認作業の中で、とくに藤岡市内の3つの体育館の中で行われた、47日間の実録を記すことであった。(中略)
遺族の極限の悲しみが集約された体育館の中で、各々の職業意識を越えて、同じ思いで同化していった1つの集団の記録を決して風化させてはならないと考えて本書を執筆した。――「はじめに」より抜粋
--このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
520人、全遺体の身元確認までの127日を最前線で捜査にあたった責任者が切々と語る!人間の極限の悲しみの記録。
私は、愛する肉親を失った数千人の遺族の究極の悲しみの場に立ち会った。
どれもが、私の記憶の奥底に永遠に封じこめておきたい凄惨(せいさん)な情景である。できることならあの夏の出来事だけは私の記憶からすべて消し去りたいと思う。でも夏が近づくとあの情景が、もぞもぞと這(は)いだしてくる。忘れようにも、忘れられるものではないのである。それならば、今年はあの遺体確認捜査の責任者として1つの節目をつける年でもあると思った。
それは、夏から冬に至る127日間にわたる身元確認作業の中で、とくに藤岡市内の3つの体育館の中で行われた、47日間の実録を記すことであった。(中略)
遺族の極限の悲しみが集約された体育館の中で、各々の職業意識を越えて、同じ思いで同化していった1つの集団の記録を決して風化させてはならないと考えて本書を執筆した。――「はじめに」より抜粋
--このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
内容(「BOOK」データベースより)
1985年8月12日、群馬県・御巣鷹山に日航機123便が墜落。なんの覚悟も準備もできないまま、一瞬にして520人の生命が奪われた。本書は、当時、遺体の身元確認の責任者として、最前線で捜査にあたった著者が、全遺体の身元が確認されるまでの127日間を、渾身の力で書きつくした、悲しみ、怒り、そして汗と涙にあふれた記録である。
内容(「MARC」データベースより)
御巣鷹山の尾根に日航機が墜落してからもうすぐ13年がたつ。事故から127日かかった520人全遺体の確認作業。当時、身元確認班長として最前線の捜査にあたった著者が切々と語る、人間の極限の悲しみの記録。
--このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
著者紹介
1937年、群馬県に生まれる。日本大学法学部を卒業。1960年、群馬県警察官として採用され、以後、警察本部課長、警察署長、警察学校長等を歴任。1985年、高崎署刑事官在職時に、日航機墜落事故が発生、身元確認班長に。1996年、退官。著書に『かんくさん物語』がある。
--このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
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著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
飯塚 訓
1937年、群馬県に生まれる。日本大学法学部を卒業。1960年、群馬県警察官として採用され、以後、警察本部課長、警察署長、警察学校長等を歴任。1985年、高崎署刑事官在職時に、日航機墜落事故が発生、身元確認班長に。1996年、退官(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1937年、群馬県に生まれる。日本大学法学部を卒業。1960年、群馬県警察官として採用され、以後、警察本部課長、警察署長、警察学校長等を歴任。1985年、高崎署刑事官在職時に、日航機墜落事故が発生、身元確認班長に。1996年、退官(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)