広告というものが、ヌエのようにメディアにとりつき、進化するに従って映画「トゥルーマンショー」のように客を閉じこめるような形での都市広告になる。西武や東急の街全体で経営を成り立たせるやり方や、もっと極端なディズニーランドなどがそうである。
だがそのような企ては特にケータイの普及などで時代遅れとなりつつある。個人と社会との関わりがより細分された流動的なものになりつつあり、都市の性格というものが失われつつある。
ここでは映画版クレヨンしんちゃんなども取り上げ、懐古的な方針というものが「過去」そのものでなく、作り直す「未来」への方針にもなりうるとし、映画の中で父ひろしが泣くのは「過去」を捨てねばならない悲しさであり、過去を抱えてあえて現代を生きねばならないという立場に何か語るべき言葉を見つけようと言う。
広告の概念と言うより、現代日本の都市と広告のつながり方、その中の人の取り込まれ方を文化的に書いた本だろう。