著者は京都大を卒業後、臨済宗の僧侶となり、管長となる。管長を辞してから46歳で医学部に入学し、禅僧初の医師となった。
◆形を真似る
坐禅は姿勢を正すことから始める。形から入る。学ぶは「まねぶ=真似ぶ」。習うことは先人の真似をすること。心は形を通してしか現われないから、形から入って心を鍛錬する。
◆呼吸と心は繋がっている
心は意識と無意識に分かれるが、無意識はコントロールできない。心が落ちつかない時は、呼吸も乱れている。リラックスしている時は、呼吸もゆったりしている。呼吸をコントロールすることによって、心をコントロールするのが、坐禅の基本原理である。
坐禅は腹式呼吸であるが、息を吐くときに下腹がへこむ「順式」腹式呼吸とは違う。坐禅の呼吸は、息を吐く時、自然に下腹がふくらむように、「息を臍から出す」ような感じにする「逆式」腹式呼吸を行う。そして、息に余裕を残して自然に吸気に入る。
◆雑念という念はない
心は常にいろいろな思いが出ては消えを繰り返している。思いが心の中でずっととどまっているように感じるが、思いは一瞬のものである。人が思いを追いかけて引きとどめている。
雑念とはとらわれという心の状態を言うのであって、雑念という念はない。雑念という実体があると錯覚し、追い払おうとすると疲れ果ててしまう。思いは放っておくとすぐに消えてしまうものである。
◆いま・ここ・自分
何をやってもその場で取り組んでいることが一番大切である。そこにベストを尽くす。心を「いま・ここ」に焦点を合わせる。それが無心である。まだ来てもいない結果を恐れていると、「いま・ここ」で下すべき決断ができなくなってしまう。
雑巾がけする時は、雑巾になりきる。他のことを考えたり、嫌だななどと思っていると「いま」が抜けてしまう。なりきるとは「いま・ここ・自分」に徹すること。体と呼吸と心が全体でひとつになる。それが無心である。