乾いた星から来て、地球に墜落、水ばかり飲む異星人。
ビジネスで成功、裕福になり、故郷の星に帰るため宇宙船を開発するが・・・
ストーリーの細部は、私には理解できていない、と思いますが、デヴィッド・ボウイの存在感、美しい異質さを堪能しました。
76年の作品、内装やテレビや電話機は懐かしいデザインですが、ニュートン(デヴィット・ボウイ)の周囲にあると、すべてが近未来的に見えるのが不思議です。
映像・演出は、かなり印象的です。映像特典では、時系列を組み替えた作品であるように語られていますが、『メメント』のように、過去未来を行き来する目まぐるしさはなく、時空の概念に惑わされるのをやめた、潔い作品であるように感じました。
(以下、ラストシーンに触れます。ごく個人的な解釈です)
個人的に印象深かったのがラストシーンです。椅子に座っているニュートンが、微笑し、俯き、顔が帽子のなかに隠れて、エンドロール。
痩身の彼は、もともと衣服の中に、すっぽり入ってしまいそう、俯くとさらに小さく、帽子の鍔で、肌が画面から完全に消える。風が吹き、衣服の端が、ひらひらと揺れる。このとき、着ている人物が細いせいで、なんだか椅子の背に上着を着せ帽子をひっかけてあるだけのように錯覚します。錯覚ではなく、もしかすると、実際にそういう画像に切り替わっているのでは?・・・とも、感じます。
時代の寵児となり、嫌になる程もてはやされ、利用され、切り刻まれ、玩具にされ、吸い尽くされた人物が、波が過ぎたことで、ある意味で自由になって、だけどもはや、帰る場所も帰るすべもなくて、チェシャ猫よろしく諦観の微笑を残して消滅する、そんな風で、やるせない、だからこそ刹那的な魅力のある、退場の場面だと感じました。