人里離れた場所で、夜更けにレ・ファニュの本を紐解くのが自分の読書の理想郷、と語ったのはヘンリー・ジェイムズだったとおもう。現代では世間に孤絶した環境は求めにくいが、一杯ひっかけなどして、昼のことは忘れ、せいぜい雰囲気だけは入れ込んで、スタンドの明りで怪談を読むのが、私の楽しみだ。その際、この訳者の選択眼には、幾度となくしあわせな時間を提供してもらった。
今度の三作も、神韻縹渺、とまではいかないが(それは泉鏡花や上田秋成の境地)十分緻密に練られた物語で、(ホラーではなく)怪談好きなら満足できるだろう。訳も気取ったところのない、愛情のこもった文で、私は古典的な怪談の翻訳家としては、この人が一番好きだ。平井呈一はもちろん敬愛しているが、時々外国文学らしからぬぞろっぺいな言葉遣いに引っかかることがある。その他の職業的な翻訳家は無味乾燥に陥りがちだし、どこぞの教授の片手間の翻訳は文学の権威という気負いが文章を固くして、物語を殺している。
ひとつだけ文句を言いたいのは、冒頭の「シートンのおばさん」である。この中編のかつての翻訳について、「物語中何が起こっているのかよくわからない」と友人に言われ、それならばわかりやすく訳してみようと思い立った、ということだそうだ。しかしこれはわかりすぎる。私程度のへそ曲がりの好事家から言わせると、何が起こっているのか分からない位でいいのだ(難儀な注文だと思う。故意にあいまいな雰囲気を醸すのは、単に下手なだけだろうとか、自身が十分に原文を把握していないだけ、などと言われかねない)。いや、そのことよりも、あの作品は大方周知のものであろうし、手に入りにくいわけでもないと思う。貴重な数十ページを、別の作品の発掘に当ててもらいたかったと切に思うのだ。