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5つ星のうち 5.0
完全版によって映画の印象ずいぶん替わります, 2009/8/2
レビュー対象商品: 地獄の黙示録 特別完全版 [DVD] (DVD)
劇場版に追加された主なシーンは、1、遭難したPLAY MATESの
乗ったに機体を発見しMATESとやりとりをする。
2、ジャングル内に忽然と存在する白人入植者の村に遭遇、しばし滞在し
入植者達と語らう。この場面ですが、入植者の村は、まるで白昼夢の
ような趣。ほんとうに存在したのか、幻だったのか、もう村上春樹さんの
「海辺のカフカ」の中に出てくる村のような感じです。たまらない余韻を
見るものにあたえます。
完全版になってずいぶん映画の印象がかわりました。
ベトナム戦争は題材で、もっと普遍的なものを描こうとし
たことが「よりわかりやすい形」で提示されたと思われます。
とかく難解なイメージをお持ちの方がいたら、是非完全版を
ご覧ください。
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5つ星のうち 5.0
コッポラの苦悩と意欲, 2011/2/27
レビュー対象商品: 地獄の黙示録 特別完全版 [DVD] (DVD)
初回上演ではカットされたシーンを追加した完全版。
コッポラが何故改めてこのようなバージョンを作成したのか知りたく購入・視聴。
見てみて感じたことですが、私見を結論から述べると、買う価値大。理由は、今回追加されたシーンの中に、「これを外したら作品の意義は半減してしまうでしょう」と感じるものが追加されていたので。
そのシーンは、ウィラード大尉がメコン川を遡上する途中で立ち寄るフランス人の農場でのシーン。この農場でウィラードはあるフランス人未亡人と出会う。
この未亡人が、ウィラード大尉に発する言葉の中に、この作品の意義を探る上で、とても印象的で、とても重要だと思われる台詞を述べる。
ここで台詞の内容はあえて伏せておく。しかし、このシーンが追加された完全版、そうではない初回上映版と比べて、映画の意義が明確になり、場合によっては大きく異なってくるように感じる。
このシーンを最初の劇場公開版で削除せざるを得なかったコッポラの苦悩が想像される。そして、だからこそこのシーンを付け加えた完全版を出したかった、という強烈な意欲を感じた。
お勧めです。
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5つ星のうち 5.0
この作品の得体の知れぬ力, 2009/10/26
レビュー対象商品: 地獄の黙示録 特別完全版 [DVD] (DVD)
これは難解な映画であるとよく言われます。
しかし、私の見たところ、
初公開時から議論を呼んだ有名なラストシーンを別にすれば、そこにたどり着くまでに主人公が経験するいくつかのエピソード自体は、さほど分かりにくいものではありません。
それぞれのエピソードは、映像も物語も、ひと筋縄ではいかない深い含蓄を裏に秘めてはいるものの、
その一方で、観客の目をを画面に釘付けにさせる「親切な」工夫も決して忘れてはいません。
要するに、意外なほどサービス精神に富んだ、見る者を楽しませる作りになっているのです。
解釈に苦労するような難しさは、ほとんど見受けられません。
ところが、この、決して「分かりにくい」とは言えないいくつかのエピソードが、物語の大きな流れに乗って、ひとつ、またひとつと重層的に積み上げられていくうち、観客の頭には得体の知れない「もや」がかかり始めます。
何が正しく何が間違っているのかよく分からない、判断力のマヒとでも言うべき状況が訪れてくるのです。
思うに、観客はある種の催眠術にかかってしまうのかもしれません。
催眠術師は、誰もが普通に使う、聴きなれた「分かりやすい」言葉によって、被験者を夢幻の境地に導きますが、
この映画の手管もそれに似ているような気がします。
決して難解とは言えないエピソードに、ひとつ、またひとつと立ち会わされているうち、観客の精神は次第に日常の価値基準から切り離され、もやのかかった混沌の中に引きずり込まれていく。
そして、夢を見るのです。
もやのかかった頭で自分が殺人を犯す悪夢を…
私は長い間、この作品のラストシーンは失敗だと思ってきました。
ストーリーに関して壮大な大風呂敷を広げ過ぎ、袋の口が閉じられなくなった作り手の、破れかぶれの支離滅裂さが現れたのが、あの「分けのわからない」ラストシーンなのだと、あまり評価してこなかったのです。
しかし、今ではだいぶ考えが変わりました。
夢ともうつつとも知れぬあのラストは、観客を夢幻の境地に導く力を持ったこの映画の終幕に何よりふさわしいものではないのか。
そう考えられるようになったのです。
ひょっとしたら現実には、私が推察した通りの、現場のドタバタが露骨に現れただけのラストシーンなのかも知れません。
しかし、たとえそうだとしても、瓢箪から駒。
窮余の一策としてイヤイヤ提出したものが、かえって最良の効果をもたらすという、嬉しい誤算が起こっていると思います。
いずれにしてもこの映画は、転んでもただでは起きないという、得体の知れぬ力を持った作品のように思えます。
この力とは取りも直さず、監督のコッポラがこの作品に注ぎ込んだ執念に他ならないのかも知れません。
この作品の後、コッポラがこれをしのぐものを二度と作れなかったというのも、なんだか妙に納得できるような気がします。