彼の作品は、安易な「鑑賞」を許しません。
「詩作」としてカテゴライズするしかないのでしょうが、まるで火花の中心に飲み込まれたような視覚的、感覚的極限に陥ります。
人間が持つ、いや生命の持つ美しさや残酷さや無軌道さを体現する壮絶なる被験者であり、それを恐ろしく冷徹に客観的に分析する記録者でもあったような気がします。
多くの芸術家は、多かれ少なかれ生活の為に芸術するという宿命から逃れられません。
どんなに優れた芸術家でも、そのことが芸術性にかげりを落としていることは否めないと思います。
そんな宿命さえ無視させ、彼を詩作の放棄に向かわせたのは、彼の、いや彼の中に躍動する生命力の「老い」なのではないでしょか。
「地獄の季節」は、その時点の彼の老いかけた無軌道な生命力と、無機質な現実との戦いの集大成でもあると思います。
結果彼は負けてしまいますが、だからこそ彼の生命力は本物だったと言えるのではないでしょうか。壮絶なるな美の被験者に、自ら冷徹に「老い」の宣告をせざるを得なかった彼は、誰よりも正確に己の魂と向き合ったのだと思います。
「老いて死んだ自分の魂は、もはや詩作をする意味が無い。」
と冷徹に割り切り、文学的成功が未来にあろうが無かろうが、無機質な労働を選んだ彼は、真の芸術家であったと言えるのではないでしょうか。