本書は、「在日とはなにか」を問うものというよりは著者の自伝であり、やや感傷的な文章でつづられている。
これまで背負ってきた「在日」という属性にどのように悩まされ、また、克服したのか、という私的体験を語っている。
「在日」という烙印は、押された側にしか解からないこともあるだろう。
しかし、知的エリートとして成功した著者は、容易に国境を越えることが出来(日本語、ハングル、英語、ドイツ語がわかるはずだ)、日本で生まれ育った二世、三世(日本語しか出来ない人も多いだろう)とは、根本的に何かが違うのではないかと思う。
一般的な「在日」にとっての「日本と朝鮮半島」という葛藤は、著者が語る「世界の中の日本と朝鮮半島」とは別物ではないのか。
その意味では、「在日」というタイトルは、インテリが一方的に語る「連帯」のような軽薄さが感じられる。
そもそも、格差の固定化が進み、大学進学さえままならない若年層が出現しつつある現代日本では、「フリーター」という属性のほうがはるかに悲惨であり、成功した在日二世の語る悲壮感には、なかなか共感できない。
若い頃は、家庭教師や非常勤講師の仕事をしてきたそうだが、外国留学まで出来た経済的なバックグラウンドを語らないのは、一面的な主張できないだろうか。