絶賛する人もいれば、毛嫌いする人もいる本であり、著名かつ評価が難しいタイプの本である。
間違いないのは、英米での国際関係論での圧倒的な影響力である。
現代国際関係の理論を扱う論者は、ほぼウォルツの理論の修正、もしくは批判から持論をすすめて
いることからも伺える。「リアリズム」を批判する場合も、純粋なカーやモーゲンソー(古典的現実主義)の思想研究を除いて、ほぼウォルツの理論かそこから派生・修正した理論をさすことがほとんどである。
(たとえば攻撃的現実主義、新古典的現実主義もウォルツの理論がなければ発生しなかっただろう)
たとえば今日の指導的理論家であるリチャード・ルボウ、ジョン・アイケンベリー、クリスチャン・ルース=シュミット、バリー・ブザンなど、いずれも必ずウォルツの理論への言及がみられる。
最近もInternational Relation誌がWaltzを理論の"King of Thought"としたうえで、
2号にわたって特集をくんでおり大変興味深い。
ただし、全世界的・全パラダイム的にみると、その影響力は一概に強力とはいえない面もある。たとえば、日本国際政治学界編『日本の国際政治学』(有斐閣)では、ウォルツの理論はそれほど日本に影響を及ぼさなかった様が描写されている。
このことは「日本の学界が(北米の)スタンダードからとりのこされた」と批判することも、「ウォルツの影響を免れたゆえに、日本独自の国際政治学が形成された(歴史や地域研究)」と肯定的な評価を下すことも可能であろう。(半分予想だが)ヨーロッパ各国の、国際関係論にも同じことがいえると思われる。(英米とその他の地域の国際関係理論の関係性をあつかった文献として、例えばBuzan et al., Non-Western International Relations Theory 参照。
肝心の内容に関しては、細かくみていけば論点はいろいろあるものの、やはり一番の特徴は簡潔性にあるといえるだろう。ユニットの国家の性質設定と(生き残りの希求)、その相互作用が導き出すシステムの制約(アナーキー)のみで説明を試みている点は、やはり革命的な斬新さをもっている。
また古典全般にいえることであるが、読み返すとなかなか周到に議論をはっており、一部の批判はアンフェアであることがはっきりしていると分かった。たとえば国家をブラック・ボックスとして観察することへは、「仮定について問うべきなのは、それが真実かどうかではなく、それがもっとも意味があり有益であるかどうかである(p.121)」と、「仮定の正しさ」よりも「その仮定によって得られる、説明・分析能力」で判断すべきだ、と述べている。
また彼の置いている仮定、「国家が国際政治の主要なアクターである」「システムはアナーキーである」「国家はつねにバランシングする」といった批判の対象になりやすい項目に対しても、より慎重な考察をすすめており、参考になった。彼は国家以外のアクター、ハイアラーキー、バンドワゴニングにたいしても考察をかなり詳細におこなった上で否定しており、議論は批判者が指摘するよりもより深みのある印象をうけた。
たとえばハイアラーキーに関してはかなり詳細に分析しており、そのまま現代の国際関係にも応用できそうな点もあるほどである。もちろん本書の指摘する点や歴史認識は現代から振り返れば明らかなあやまりも多く含まれている。しかし、やはり本書が考察した国際関係のとらえかたに対する試みは、現在読み返しても十分意味のあることだろう。
評者が最近個人的に感じる点は、英米国際関係論の70年代後半から80年代の議論を振り返る重要性である。それはアメリカの相対的衰退や中国の台頭といった現在の状況が、70年台―80年代の認識であった多極化や覇権の衰退と重複しているからである。
その意味で、覇権と転換を論じたGilpin, War and Change in World Politics(1983); 覇権衰退後の先進国の強調が可能かを模索したKeohane, After Hegemony(1984);国際「社会」という一定の秩序のありかたを論じた Bull, Anarchical Society(1977)と国際社会の広がりと西洋の将来を論じたBull and Watson eds., Expansion of International Society(1984)の問題意識はいまだに新鮮であり、Waltzのみならずこれらの新・古典が読み返されることの必要性を感じた。