アダム・スミスというと分業、と連想してしまうのは明らかに刷り込みによるもので、後世の経済学者が整理整頓したあとの学説史ではそうなっているのだろうが、本人が書き残したテキスト自体を読み返してみれば、ほかの思想家の多くと同じように、三行程度の要約では纏め切れない多くのアイディアを含んでいるところが見えてくる。
「国富論」が書かれた時代は、産業革命が世界中に不可逆的な変化を起こす以前だったので、自分たちがいる時代と経済活動の質が違っていることを常に意識する必要があるが、逆に言うと今の時代の人々が自明としている事柄に対して鋭い分析を付しているところが、いま「国富論」を読む意義にもなっていると思う。
この第三巻は、国富論の第5篇、今で言うと公共経済学及び財政学が取り上げるテーマについての解説が掲載されている。具体的には、支出項目として国防・司法・公共事業・教育・宗教、収入項目として租税・公債といったテーマを取り上げる。時代的に福祉国家が実現する以前だったので、社会保障全般については議題に入っていない。
読み進めていくと、普段意識せずに居ながら、今の日本が抱える問題に直結する話題ばかりなのに気づく。たとえば、
1.国内の人々の生活の安全を保障する機能としての国防と司法の重要さと、常備軍が財政に与える負担や、司法権力が行政権力と一体化するときに裁判が「政治」の犠牲に供せられることなどの危険性の指摘。
2.公共事業の必要性を見抜きながら権限と財源を地方に移譲することの利点も同時に言及。無駄な公益法人の悪質性を徹底的に暴く記述。
3.教育と宗教が社会の連帯を強め活力を与える機能と、教育政策を誤ることで国内に被る大きな不利益や、国家が宗教と関わることの危険性の両者について説く部分。
上記の議論は今でも財政政策・社会政策の議論の基礎になる指摘だと思う。租税に関する部分でも今の租税法に通じる洞察に貫かれているし、公債を累積させることの危険性はここで強く主張されている。そして結びでは、これが発表された当時に植民地アメリカで勃発していたアメリカ独立戦争について、イギリスは植民地アメリカの経営から手を引いたほうが良いという提言も行っている。歴史はその通りになって、かえって強大な帝国主義イギリスを発展させる遠因にもなっていく。
今読んでみると、かえって新しい発見があり得る著作。