なぜ国際機関や、先進国の政府・メディアはソマリアの海賊や
アフガニスタン・イラク・パキスタンにこれほど関心や資源を割くのか。
その問に対する認識の1つが本書である。
まず、日本語版は山形浩生氏が評されたような改悪ではない、と私は考えている。
「序文」や「日本語版に寄せて」のクーパーの文章を読めば、
日本に対する彼の深い認識が伺えるはずだ。家康の「泣くまでまとうホトトギス」
を引用している文章を見たときは驚愕した。
(余談ではあるが、彼のパートナーは日本人ピアニスト内田光子氏である)
第3部はそんな彼が日本の読者のために改定・補筆してくれた文章であり、
質を低下させているようなものではない。
私も原著 Breaking of Nations で改定前の第3章を読んでみたが、
イラク戦争の結果がまだ不透明な状況かつ、
焦点が欧米関係に絞られている(それはそれで興味深いが)。
このように文章のアップ・デートおよび、日本人読者用に構成しなおした
日本語版のほうが「改善」されている内容である、といえる。
私が解釈した、本誌の要旨はだいたい以下の通り。
・現代の国際関係はポスト・モダン(主に先進国・とくにEU)、
モダン(発展途上国)、プレモダン(破綻国家)の圏域に分かれており、
国家の形態・行動のインセンティブは本質的に違う。
・現代の脅威はモダン(例えば中国、インド)よりもプレ・モダン(ソマリア、アフガンなど)
にあり、国際テロリストと核兵器の拡散こそが、ポストモダン圏にとって最大の課題である。
・しかし、介入にはロバート・ケーガンの『ネオコンの論理』が推奨するような
単独行動は認めがたい。アメリカは特殊なイデオロギーがあり、時として失敗を犯す。
この誤りを修正し、ポストモダン圏の国家が一致して介入するためには、
日本やEUなどのアメリカとの協力と関与が欠かせない。
しかし、この本の魅力は巧みな比喩と著者の文学的なセンスにある。
本書は薄いが、著者の国際関係の比ゆ的な描写がいちいち的確であり、
「世界秩序」についての俯瞰図を示してくれている。以下いくつか挙げておく。
1「(靖国問題に対して)…個人的信条としては、戦没者に敬意を表したい、という
小泉首相に共感を覚える。高貴な愛国的動機によって生命を失いながら、
その大義が彼らの犠牲に値するものではなかったという点で、彼らの死は
二重に悲劇的である。しかし、外交関係においては相手がどう受け取るかということ
が問題なのだ」(一部改変、p.24)
2「ポストモダン国家にとっての困難は、(さまざまな要素は国際化するが)、
アイデンティティと民主制度はこれからも一貫して国内的なものであり続けることだ。
これこそが、伝統的な国家が、伝統的な役割を終えた後もなお、
国際関係の基本単位として残るだろうと予想される最大の理由なのである。」(一部改変、p.65)
3「アメリカとはひとつの理念である・・・テロリストがスペインやイギリスを
攻撃するのであれば、彼らは国家の敵と呼ばれる。しかし、
アメリカを襲った場合、大統領は彼らを自由の敵と呼ぶだろう。
・・・フランクリンは「アメリカの大義は人類の大義である」と延べ、
それ以降のアメリカ指導者たちもこのヴィジョンを共有した。
ドイツ、日本、イギリス、どの国の指導者であっても、
この種の発言をするなど夢にも思わない。」(pp.208-210、一部改変)
また以下のレビューも参考のこと
・読売新聞(岩間陽子)
http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20081020bk02.htm
・Foreign Affairs, John Ikenberry
http://www.foreignaffairs.com/articles/59207/g-john-ikenberry/the-breaking-of-nations-order-and-chaos-in-the-twenty-first-cent