「犠牲」という言葉を中心に、
日本、韓国、ヨーロッパなどでその言葉が使われてきた
歴史の背景や比較を踏まえながら、言葉の中身を探っていく好著である。
もし、広島と長崎への原爆投下による犠牲者が「尊い」と言われれば、
その背景を踏まえると違和感を覚える人が多いと思う。しかし
2002年に両地域に国が建てた原爆死没者追悼平和祈念には、はっきりと
そのように記されているようである。
それは、天皇の戦争責任議論回避のための慎重な言い回しとはいえ、
本当に被害者やその遺族やのためでなく、
あくまで国家が体面を保つために都合よく「尊い犠牲」という言葉を
選んだという意図が、この場合よくわかる。
他にも
中世ヨーロッパでは、「尊い犠牲」は教会のための、つまり
宗教的側面として成り立っていたが、その方向が、
教会から国家にすりかわったとするカントロヴィッチの主張、
国家は「犠牲の感情による連帯心」であると主張するルナンなど、
ナショナリズムの成立に関心がある人にもお勧めできる。
犠牲なき世の中は起こりうるのか、
果たして著者のその答えは…。