本著を主要著書に掲げる松川節(まつかわ・たかし)大谷大学准教授(東洋史学・モンゴル時代史専攻、文学博士)は、東京外国語大学モンゴル語科卒業後に中国・内蒙古大学に留学。爾来モンゴルと中国で「モンゴルの石刻史料」の現地調査を継続。まず紀元前三世紀の匈奴に遡る遊牧国家の成立から十三世紀創立のモンゴル帝国とその後までの歴史を、“各地に意外なほど”残された数々の考古遺物から写真とともに図説します。ポスト・モンゴル帝国のハイライトはチベット仏教の摂取で、次のテーマである首都「ウランバートル都市史」の起源を、その活仏(仏・菩薩・聖僧などの生まれかわりとされる者)と寺院を軸に周辺に俗人街をもつ「純粋な宗教都市」と解明。モンゴル帝国時代発祥の円陣式野営「クリエン」に因み、十七世紀のチベット仏教隆盛による「移動寺院」文化形成の時、これを「クリエン」の口語形「フレー」と命名。かつての中心「遊牧集団の長は、寺院の活仏にとってかわられ」、各地大小フレーの中で最大規模のウランバートル前身はやがて「イフ・フレー」(大フレー)と呼ばれます。活仏中心思想は、一九一一年清朝からの独立時に“政教掌握のモンゴル元首”誕生でクライマックスに。しかし共産主義の台頭で政権は活仏八世の死とともに終焉し、活仏の任命すら断絶。それどころか一九二五年にウランバートルで三十二%(絶対数で二万人足らず)を占めた僧侶は、宗教抹殺政策の下で一九三五年には半減、一九四〇年には還俗(けんぞく)を強いられた僅か千六百人に。今日のウランバートルの観光スポット「ガンダン寺」も、実は「イフ・フレー」の成立に対して傍系で、元来の中心的建造物は社会主義時代に破壊。わずかに「ボクト・ハーン冬宮博物館」「チョイジン・ラマ寺院博物館」として現存です。石刻による草原文化の解析、またモンゴルの入り口ウランバートルの都市史を巡る仏教との関わりに興味を惹く一冊です。