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図説 オーストリアの歴史 (ふくろうの本/世界の歴史)
 
 

図説 オーストリアの歴史 (ふくろうの本/世界の歴史) [単行本(ソフトカバー)]

増谷 英樹 , 古田 善文
5つ星のうち 5.0  レビューをすべて見る (2件のカスタマーレビュー)
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商品の説明

内容紹介

ハプスブルクの栄光と芸術の都ウィーンに象徴される華やかな歴史がある一方、ファシズムに支配された陰の側面ももつオーストリア。希有な国民国家の光と影を鮮やかに描き出す通史の決定版。

内容(「BOOK」データベースより)

ハプスブルクの栄華、ウィーン世紀末文化、オーストリア・ファシズム―「もう一つのドイツ人の歴史」か、「誰も望まなかった国」の再生か。世界帝国の遺産を受け継ぎ、東西対立のはざまで永世中立国として生きのびた、希有な国民国家の歴史を検証。通史としてのオーストリア史の決定版。

登録情報

  • 単行本(ソフトカバー): 143ページ
  • 出版社: 河出書房新社 (2011/9/16)
  • ISBN-10: 4309761755
  • ISBN-13: 978-4309761756
  • 発売日: 2011/9/16
  • 商品の寸法: 21.9 x 17 x 1.4 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 5.0  レビューをすべて見る (2件のカスタマーレビュー)
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最も参考になったカスタマーレビュー
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当初「オスタリキ」(東の領域)と呼ばれ

その後オーストリア公領となったかの地の支配者ハプスブルク家は神聖ローマ皇帝を輩出する一方

婚姻によりハンガリーとボヘミアも継承するが

皇帝権力は30年戦争等で弱体化

1804年皇帝フランツII世はオーストリア皇帝を称す(翌々年名実ともに神聖ローマ帝国消滅)。

66年プロシアに敗れてドイツ同盟から排除され

独伊に於ける優越的地位を失ったオーストリアはハンガリーとの妥協を余儀なくされ二重帝国成立。

-

第1次大戦敗北により帝国支配下にあった諸民族はその桎梏を脱し

「残った部分」たるオーストリア共和国はドイツへの編入を望むも果たせず

「単独では生存不能な国家」「誰も望まなかった国」とまで揶揄される。

軍・警察を大幅に削減された同国では自警団組織が簇出

これが発展したファシズム的準軍事組織「護国団」をパートナーに選択したキリスト教社会党政権は

議会閉鎖、社民党及び墺ナチ非合法化等の強権政治を行う。

この権威主義体制=オーストロ・ファシズムは

歴史的な反プロシア意識/墺優越意識に立脚しており

墺ナチの標榜する大ドイツ主義の排斥を試みるも

ムッソリーニの後ろ盾を失った墺ファシズムがナチズムに敗れた結果が1938年の独墺合邦であった。

(このとき国民の99.8%が賛成票を投じたのは共和国発足時以来の合邦志向に依る。)

「墺国民」と「独民族」というアイデンティティの相克の苦衷を感じるのは評者だけであろうか。

戦後のワルトハイム問題や大ドイツ主義の系譜を引く自由党の躍進等も

歴史が断続してあるのではないことを我々に告げる。

-

尚、「サウンド・オブ・ミュージック」

(本書は「オーストリアのイメージを最も強く歪め」た映画とまで言う)の

トラップ大佐の亡命は上記ファシズムのナチズムに対する敗北の結果であり

戦前の権威主義体制を擁護する映画としてウィーンでは今に至るまで1度も上映されていない由。

興味深い話ではある。
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By solaris1 トップ1000レビュアー
私は「オーストリアの歴史」というまとめ方の書籍を読むのは初めてなので、色々と示唆に富む情報がありました。私が知らなかっただけで、「オーストリア史」ではポピュラーな話なのかも知れませんが、例えば

・最初に登場する図版はオーストリアの語源となった「オスタリキ」が始めて登場する現存古文書(996年)の写真。当時の皇帝が帝国の法を「オスタリキ」にも適用する、という文書に過ぎず*1、「オスタリキ」がカール皇帝設置の「オストマルク」だと思っていたが、実際は「アヴァーリア」(語源はアヴァール族)だったとのこと。

*1しかしその6頁後で「民衆の言葉でオスタリキと呼ばれる地域に属する一部の領域をある司教に授けた」文書、とあり、若干わかりにくい点もある。恐らく司教に授けて帝国法を適用したのだと思われる。

・次の図は、976-985、996、1030年のオスタリキの領域変遷地図。ウィーンがオスタリキに入ったのは996-1030年の間だったことがわかるレアそうな地図(985以前のオスタリキは現サンクト・ペルケンあたりを中心として南北40キロ東西70キロ程度の領域だった)。話の流れからすると、976年にバーベンベルク家が領有したのは「アヴァーリア」ということになる。

・7つ目の図は、バーベンベルク家拡大図。976、996-1000年、1000-1156年、1192年次の獲得領域の色分表示。

・中世オーストリアの歴史関連文章では、ケルンテン、クライン、シュタイアーマルク公国、南チロルが頻出するが、3枚目の地図(1920年サンジェルマン条約の地図だが)で、各オーストリア州の区画も登場しているので、その後の文章に登場する地名がわかりやすい。

・バーベンベルク家については地図は豊富だが、この家系の人々のエピソードが無いのは残念(しかしバーベンベルク家フリードリヒ二世戦死の絵は登場する)。

・p11には中世チェコ最盛期の王オタカル二世が、オーストリア、シュタイアーマルク、ケルンテン、クラインを支配した時の領域図とオタカルがハプスブルクのルドルフに敗れ、上記4つの公国を失った時の戦いの図がある。

と、このように、たったの11頁までという、中世については超駆け足な割りには図版が多く、この時代のオーストリアがイメージし易い内容となっています。複雑な婚姻関係や、頻繁に入れ替わる領地継承を細かく説明されるよりは、初心者にとってははるかにわかりやすいまとめ方かも。

近世前半もあっという間ですが、1540年の宗教改革諸派地図が登場します。当時のオーストリアはほぼ全土、プロテスタント、カルヴァン、再洗礼派いずれかが主流地域で、特にオーストリア、シュタイアーマルク、ケルンテン、クラインはプロテスタント拠点都市ばかりなのも驚きました。更に第一章最後のコラムは中世ウィーンのユダヤ人について記載されていて、オーストリアのユダヤ人はその後も各章で登場し、本書の主要な流れのひとつとなっている点に特徴を感じました。詳細は記載がありませんでしたが、マリア・テレジアもユダヤ嫌いとは初めて知りました(敬虔なカトリックだったそうだから考えてみれば当然ですが)。

2章からマリア・テレジア。本書は15章あるので、中世・近世前半が薄過ぎですが、結構役立つ図版が多く、ここまででも充実した印象でした。

その後もヨーゼフ二世欧州視察ルート地図、1840年のウィーン市街図(城壁の外側一定の距離が公園となっていて、外側の市街地との間に緩衝地帯が設けられている様子がよくわかる)、1848年革命時を描いた絵画が10枚と、冗長な感じもせずよく伝わってきます。リングシュトラーセ撤廃理由のひとつが、城壁が革命時に市民の側に有利に働いてしまったから、というのもなるほど、と思いました。

ウィーン世紀末文化の第六章は独立した書籍もあるので本書の売りではありませんが、ユダヤ人やチェコ人などウィーン出身の住民は半数以下となっている、1856-1934年までのウィーン住民出生地統計など、「他民族国を統治する多民族国家ハプスブルク帝国」というよりも、他民族が流入し、元々乏しかったオーストリア(ドイツ)民族意識が19世紀中頃から急速に成長してゆく様子がよくわかります。居住ユダヤ人についても、常に住んでいたわけではなく、何度も追放例が出ては、100年くらいして戻ってきたり、19世紀流入したユダヤ人は、ポーランド分割によるポーランド南部のユダヤ人が難民として流入したなど、小著ながら経緯が良く記載されています。このあたりで漸く半分。

後半は、第一次世界大戦後から21世紀初頭まで。1919-1930年、1945-1995年の政党得票率一覧表やオーストリア国民としてのアイデンティティの確立過程(国民意識調査の結果グラフ)、PKO派遣先と人数一覧など、統計図版などが役立ちます。後半の特徴は、ナショナリズムの芽生えとナチス加担国としての歴史と戦後のその清算、冷戦下での巧みな外交交渉による中立化の達成とオーストリア国家と国民意識の成長などが描かれます。専門書に詳述されているものと思いますが、左派社会党と右派国民党の二大政党が戦後、ほぼ過半数以下ながら、大連立政権を長く維持し、「プロポルツ」という、社会党と国民党でポストを分け合う制度が比較的上手く機能してきた件などは、「放っておけば国が空中分解してしまう」状況の産物とはいえ、参考になりそうです。

 読み終えて思うのは、ハプスブルク色が極力抑えられていながら、オーストリア史としてうまく成り立っているように思えます。初心者には、本書で興味を持った内容について、より詳細な書籍へ進むちょうど良い入門書にもなると思えます。それにしても、20世紀中ごろまではルーマニアと並んで欧州一の油田があり、ソ連の戦後賠償の取引となったとか、「サウンド・オブ・ミュージック」が今でもウィーンで上映禁止とか、大して興味を持っていなかった(ハプスブルク以外の)オーストリア史に興味を持たせてくれた書籍でした。
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