当初「オスタリキ」(東の領域)と呼ばれ
その後オーストリア公領となったかの地の支配者ハプスブルク家は神聖ローマ皇帝を輩出する一方
婚姻によりハンガリーとボヘミアも継承するが
皇帝権力は30年戦争等で弱体化
1804年皇帝フランツII世はオーストリア皇帝を称す(翌々年名実ともに神聖ローマ帝国消滅)。
66年プロシアに敗れてドイツ同盟から排除され
独伊に於ける優越的地位を失ったオーストリアはハンガリーとの妥協を余儀なくされ二重帝国成立。
-
第1次大戦敗北により帝国支配下にあった諸民族はその桎梏を脱し
「残った部分」たるオーストリア共和国はドイツへの編入を望むも果たせず
「単独では生存不能な国家」「誰も望まなかった国」とまで揶揄される。
軍・警察を大幅に削減された同国では自警団組織が簇出
これが発展したファシズム的準軍事組織「護国団」をパートナーに選択したキリスト教社会党政権は
議会閉鎖、社民党及び墺ナチ非合法化等の強権政治を行う。
この権威主義体制=オーストロ・ファシズムは
歴史的な反プロシア意識/墺優越意識に立脚しており
墺ナチの標榜する大ドイツ主義の排斥を試みるも
ムッソリーニの後ろ盾を失った墺ファシズムがナチズムに敗れた結果が1938年の独墺合邦であった。
(このとき国民の99.8%が賛成票を投じたのは共和国発足時以来の合邦志向に依る。)
「墺国民」と「独民族」というアイデンティティの相克の苦衷を感じるのは評者だけであろうか。
戦後のワルトハイム問題や大ドイツ主義の系譜を引く自由党の躍進等も
歴史が断続してあるのではないことを我々に告げる。
-
尚、「サウンド・オブ・ミュージック」
(本書は「オーストリアのイメージを最も強く歪め」た映画とまで言う)の
トラップ大佐の亡命は上記ファシズムのナチズムに対する敗北の結果であり
戦前の権威主義体制を擁護する映画としてウィーンでは今に至るまで1度も上映されていない由。
興味深い話ではある。