キリスト教と仏教の現況は、パラレルです。
キリスト教では、
学者その他が、自分を、
神エホヴァである主イエス・キリストや、キリスト教や、聖書「の上に置いて」、
神エホヴァである主イエス・キリストや、キリスト教や、聖書に就いて、
「解説をしています」し、
仏教では、
学者その他が、自分を、
Dharma・法や、釈尊や、各宗宗祖「の上に置いて」、
Dharma・法や、釈尊や、各宗宗祖に就いて、
「解説をしています」。
「単に、自分一箇の理解様式に過ぎないものを、
神や仏法の上に置いて、何ら恥じるところが無い」、というのは、
現代の狂気です(AC3726-4)。
自分一箇の理解様式は、十人十色どころではありません。
百億人百億色です。
何故なら、神は、ふたりとして同じ人間がいないように、人間を創られたからです。
それは、神の無限の反映です。
人類の狂気の依って来る(きたる)所は、
既に、神エホヴァである主イエス・キリストによって、
18世紀に、Swedenborgを通して、明らかに示されています。