内容紹介
===============
「チベット問題の象徴」「格別なチベットの女」であり(本書「ダライラマが語る」より)、
非暴力運動の象徴となった「不屈の女」の半生。
===============
一人の少女がリーダーとなり、尼僧たちが歌ったカセットは、
官憲の手をのがれ、監獄から出てヒマラヤを越え、世界に広まった―。
11歳で捕らえられ、獄中で10年以上にわたり悲惨な拷問や虐待を受け続けた尼僧ガワン・サンドル。
彼女の半生を通じて、半世紀にわたり中国の占領下にあるチベットの悲劇的現状を知らしめる。
*ガワン・サンドルは、2002年10月に釈放されました。
◇2002年5月刊行・現在(2009年8月)第2刷◇
「チベット問題の象徴」「格別なチベットの女」であり(本書「ダライラマが語る」より)、
非暴力運動の象徴となった「不屈の女」の半生。
===============
一人の少女がリーダーとなり、尼僧たちが歌ったカセットは、
官憲の手をのがれ、監獄から出てヒマラヤを越え、世界に広まった―。
11歳で捕らえられ、獄中で10年以上にわたり悲惨な拷問や虐待を受け続けた尼僧ガワン・サンドル。
彼女の半生を通じて、半世紀にわたり中国の占領下にあるチベットの悲劇的現状を知らしめる。
*ガワン・サンドルは、2002年10月に釈放されました。
◇2002年5月刊行・現在(2009年8月)第2刷◇
内容(「BOOK」データベースより)
11歳で捕らえられ、23歳の今も獄中にあり、2014年まで釈放されることのない、非暴力抵抗運動の象徴となった「不屈の女」の半生。
内容(「MARC」データベースより)
彼女は「チベット問題の象徴」であり「格別なチベットの女」だ-。11歳で捕らえられ、23歳の今も獄中にあり、2014年まで釈放されることのない非暴力抵抗運動の象徴となった「不屈の女」の半生。
著者からのコメント
パラサイト」チベット学者の報恩 今枝由郎 ――PR誌「トランスビューNo03」より
私は大学に入って間もなくチベット研究を志した。三十五年ほども前のことである。学生時代は日本育英会と大学から二つの奨学金を受け、アルバイトをする必要もなかった。恵まれた学生生活だったと言える。
大学四年生の時に、今度はフランス政府の奨学金で一学年の予定でパリに留学した。奨学金は一年で切れたが、幸いすぐに大学の助手職に就くことができ、滞在を二年延長した。助手職とはいっても、先生との合意もあってその実はほとんど学生生活の延長であり、奨学金が給料という形で支払われたようなものである。
その後、一時日本に帰ったものの、またすぐにフランスに戻った。今度は国立科学研究センター(CNRS)の研究員としてである。そして現在に至っている。このCNRSというのは、まず世界でも類を見ない恵まれた研究機関で、私は何の拘束もなく、まったく自由に研究に没頭できた。建前上は研究職という仕事に従事しているのだが、一度として「仕事」と思ったことはなく、奨学金をもらっていた学生時代と同じ気持ちで、二十五年あまり研究に従事して来た。
振り返ってみると、これほど恵まれた境遇で研究生活を送ることのできた研究者は、数少ないのではないかと思う。ありがたいことである。ところがというか、だからというべきか、不況とか戦争といった悲惨なことが起こっている世の中で、そうしたこととはまったく関係なく、世の中の動きとはかけ離れた感があるチベット、しかも古代のチベットを対象に研究をしていると、どこか「パラサイト(寄生)」的な後ろめたさが拭いきれない。あらゆる研究は、それ自体でそれなりに価値があるであろうが、しかし一方、その時々の社会的な存在意義が問われることも事実である。
昨年九月にパリの大型書店フナック(FNAC)で メLa prisonniere de Lhassaモ(ラサの女囚)という本を見つけた。手にとってパラパラと頁をめくり、何か感じるところがあって買い求めた。家に帰って一気に読み終えた。今までにもこうして一気に読んだ本はいくつかある。しかし今回はただ内容に魅せられたというだけではなく、自分がチベットに長年かかわりながら、中国に抵抗して監獄に入れられているこのチベット人尼僧のことをまったく知らなかったという点で、青天の霹靂のような強烈な驚きがあった。
本書は、彼女の最初にして、現時点では唯一の伝記である。それを偶然にも手にした私は、長年パリにいて、チベット関係の仕事をしている唯一の日本人である。そう思うと、この本を、中国に占領されたチベットの現状を、それに対するこの尼僧の非暴力による闘争を、日本に紹介する使命のようなものを感じた。そして、とりつかれたように翻訳にとりかかった。下訳は三週間足らずの超スピードで終えることができた。
この翻訳が出版の日の目を見ることになったのは、訳者として感慨無量である。ただ単なる研究のための研究ではなく、現時点での社会的な意味のある仕事に従事することができたという、ほっとした充足感である。チベットは決して我々から遠く離れた秘境ではない。アジアに現存する一つの国家であり、国民である。しかしチベットは、過去半世紀にわたり中国の許しがたい占領下にある。この悲劇的現実を、日本人は知らなさ過ぎる。この現状の是正に本書が少しでも貢献するところがあれば、訳者としてこの上ない幸せである。
(いまえだ よしろう/フランス国立科学研究センター・チベット歴史文献学)
私は大学に入って間もなくチベット研究を志した。三十五年ほども前のことである。学生時代は日本育英会と大学から二つの奨学金を受け、アルバイトをする必要もなかった。恵まれた学生生活だったと言える。
大学四年生の時に、今度はフランス政府の奨学金で一学年の予定でパリに留学した。奨学金は一年で切れたが、幸いすぐに大学の助手職に就くことができ、滞在を二年延長した。助手職とはいっても、先生との合意もあってその実はほとんど学生生活の延長であり、奨学金が給料という形で支払われたようなものである。
その後、一時日本に帰ったものの、またすぐにフランスに戻った。今度は国立科学研究センター(CNRS)の研究員としてである。そして現在に至っている。このCNRSというのは、まず世界でも類を見ない恵まれた研究機関で、私は何の拘束もなく、まったく自由に研究に没頭できた。建前上は研究職という仕事に従事しているのだが、一度として「仕事」と思ったことはなく、奨学金をもらっていた学生時代と同じ気持ちで、二十五年あまり研究に従事して来た。
振り返ってみると、これほど恵まれた境遇で研究生活を送ることのできた研究者は、数少ないのではないかと思う。ありがたいことである。ところがというか、だからというべきか、不況とか戦争といった悲惨なことが起こっている世の中で、そうしたこととはまったく関係なく、世の中の動きとはかけ離れた感があるチベット、しかも古代のチベットを対象に研究をしていると、どこか「パラサイト(寄生)」的な後ろめたさが拭いきれない。あらゆる研究は、それ自体でそれなりに価値があるであろうが、しかし一方、その時々の社会的な存在意義が問われることも事実である。
昨年九月にパリの大型書店フナック(FNAC)で メLa prisonniere de Lhassaモ(ラサの女囚)という本を見つけた。手にとってパラパラと頁をめくり、何か感じるところがあって買い求めた。家に帰って一気に読み終えた。今までにもこうして一気に読んだ本はいくつかある。しかし今回はただ内容に魅せられたというだけではなく、自分がチベットに長年かかわりながら、中国に抵抗して監獄に入れられているこのチベット人尼僧のことをまったく知らなかったという点で、青天の霹靂のような強烈な驚きがあった。
本書は、彼女の最初にして、現時点では唯一の伝記である。それを偶然にも手にした私は、長年パリにいて、チベット関係の仕事をしている唯一の日本人である。そう思うと、この本を、中国に占領されたチベットの現状を、それに対するこの尼僧の非暴力による闘争を、日本に紹介する使命のようなものを感じた。そして、とりつかれたように翻訳にとりかかった。下訳は三週間足らずの超スピードで終えることができた。
この翻訳が出版の日の目を見ることになったのは、訳者として感慨無量である。ただ単なる研究のための研究ではなく、現時点での社会的な意味のある仕事に従事することができたという、ほっとした充足感である。チベットは決して我々から遠く離れた秘境ではない。アジアに現存する一つの国家であり、国民である。しかしチベットは、過去半世紀にわたり中国の許しがたい占領下にある。この悲劇的現実を、日本人は知らなさ過ぎる。この現状の是正に本書が少しでも貢献するところがあれば、訳者としてこの上ない幸せである。
(いまえだ よしろう/フランス国立科学研究センター・チベット歴史文献学)
著者について
[著者]フィリップ・ブルサール(「ル・モンド」紙の特派員記者)
[著者]ダニエル・ラン(フランス・チベット人支援委員会のインド在住代表)
[訳者]今枝由郎(いまえだ よしろう)
1947年生まれ。1974年よりフランス国立科学研究所の研究者として敦煌出土チベット文献の研究に従事、現在は同研究所主任研究員。またブータンの国立図書館の建設に尽力し、1981~90年までブータン国立図書館顧問。1995年にはカリフォルニア州立大学バークレー校の客員教授を務める。日本語の著書に『ブータン』(大東出版社)、訳書に『囚われのチベットの少女』『幸福と平和への助言』トランスビュー)など。
[著者]ダニエル・ラン(フランス・チベット人支援委員会のインド在住代表)
[訳者]今枝由郎(いまえだ よしろう)
1947年生まれ。1974年よりフランス国立科学研究所の研究者として敦煌出土チベット文献の研究に従事、現在は同研究所主任研究員。またブータンの国立図書館の建設に尽力し、1981~90年までブータン国立図書館顧問。1995年にはカリフォルニア州立大学バークレー校の客員教授を務める。日本語の著書に『ブータン』(大東出版社)、訳書に『囚われのチベットの少女』『幸福と平和への助言』トランスビュー)など。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ブルサール,フィリップ
1963年生まれ。ル・モンド紙のレポーター
ラン,ダニエル
1955年生まれ。フランス・チベット人支援委員会のインド在住代表
今枝 由郎
1947年生まれ。1974年、大谷大学卒業。1974年にフランス国立科学研究センター(CNRS)研究員となり91年より同主任研究員、現在に至る。またブータン国立図書館の建設に尽力し、1981~90年まで同国立図書館顧問。1995年、カリフォルニア州立大学バークレー校客員教授。専攻、チベット歴史文献学。パリ第7大学国家文学博士(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1963年生まれ。ル・モンド紙のレポーター
ラン,ダニエル
1955年生まれ。フランス・チベット人支援委員会のインド在住代表
今枝 由郎
1947年生まれ。1974年、大谷大学卒業。1974年にフランス国立科学研究センター(CNRS)研究員となり91年より同主任研究員、現在に至る。またブータン国立図書館の建設に尽力し、1981~90年まで同国立図書館顧問。1995年、カリフォルニア州立大学バークレー校客員教授。専攻、チベット歴史文献学。パリ第7大学国家文学博士(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
抜粋
はじめに
この本はフィクションではない。ここに語られている闘争はすべて現実であり、フィクションと呼ばれる屈辱には耐えられない。
「囚われのチベットの少女」は実在する。それはガワン・サンドルという名の二十三歳の尼僧で、中国による祖国チベットの占拠に対する反対運動に携わっている。彼女は一九九二年に投獄され、二〇一四年まで釈放されることはない。
一九五九年に中国に併合されたEの屋根`ベット)では、尼僧であれ一般人であれ、他にも独立を要求する女性たちがいる。にもかかわらず、なぜガワン・サンドル一人を取りあげたのか。なぜ彼女をチベット女性の代表にしたのか。それは監獄記録を調べた結果でもなく、彼女が現在チベットの政治犯としてもっとも長い懲役刑に服しているからでもない。他の誰でもなく彼女を取りあげたのは、なによりも彼女に典型としての価値を見出すからである。
尼僧が進んで非武装抵抗のおもてに立つチベットで、滅亡の危機に瀕している民族の、英雄的かつ悲壮な闘争を、ガワン・サンドルは象徴しているのだ。
彼女はすでによく知られた存在だ。ドイツ、カナダ、アメリカで人権擁護団体が彼女のために活動しているし、フランスではチベット人支援委員会の要請で数百人の芸術家、政治家、スポーツ選手、知識人が、彼女の釈放を要求している。しかし彼女のこれまでの軌跡はヴェールに包まれている。西側諸国では、これまでに何度も延長された服役、中国の命令に対するたえまない抵抗といった、おおよそのことしか知られていない。残りの肝要なことは何も知られていないのだ。つまり、家族、少女時代、抵抗、服役中の生活、そして何よりも西洋人には複雑で理解しにくい非暴力、放棄、連帯といった仏教の信仰。
私たちは共産主義に対する自殺的とまでいえる執拗な抵抗の意味を、もっと知り理解しようとし、まず一九九九年に『ル・モンド』紙上に長文の記事を載せた。そして本書はガワン・サンドルの最初の伝記である。
目の前にいない人の肖像を描くとは! 一度も会ったことがない女性のことを話すとは……。それは野心的であると同時に、デリケートな仕事であった。どうしたら真実を語れるか? ガワン・サンドルは謎である以上に、挑戦であった。私たちには事実を超える、つまりフィクション化する気も権利もなかった。横道にそれることは、彼女に対する、彼女の闘争に対する裏切りであっただろう。また彼女の人格に入り込んで、あえて一人称の「私」を使い、私たちの考えで彼女の選択、疑い、さらには信仰といったことを語るわけにはいかなかった。そこで一歩下がって、かつてない軌跡の恵まれた語り手となることにした。…
この本はフィクションではない。ここに語られている闘争はすべて現実であり、フィクションと呼ばれる屈辱には耐えられない。
「囚われのチベットの少女」は実在する。それはガワン・サンドルという名の二十三歳の尼僧で、中国による祖国チベットの占拠に対する反対運動に携わっている。彼女は一九九二年に投獄され、二〇一四年まで釈放されることはない。
一九五九年に中国に併合されたEの屋根`ベット)では、尼僧であれ一般人であれ、他にも独立を要求する女性たちがいる。にもかかわらず、なぜガワン・サンドル一人を取りあげたのか。なぜ彼女をチベット女性の代表にしたのか。それは監獄記録を調べた結果でもなく、彼女が現在チベットの政治犯としてもっとも長い懲役刑に服しているからでもない。他の誰でもなく彼女を取りあげたのは、なによりも彼女に典型としての価値を見出すからである。
尼僧が進んで非武装抵抗のおもてに立つチベットで、滅亡の危機に瀕している民族の、英雄的かつ悲壮な闘争を、ガワン・サンドルは象徴しているのだ。
彼女はすでによく知られた存在だ。ドイツ、カナダ、アメリカで人権擁護団体が彼女のために活動しているし、フランスではチベット人支援委員会の要請で数百人の芸術家、政治家、スポーツ選手、知識人が、彼女の釈放を要求している。しかし彼女のこれまでの軌跡はヴェールに包まれている。西側諸国では、これまでに何度も延長された服役、中国の命令に対するたえまない抵抗といった、おおよそのことしか知られていない。残りの肝要なことは何も知られていないのだ。つまり、家族、少女時代、抵抗、服役中の生活、そして何よりも西洋人には複雑で理解しにくい非暴力、放棄、連帯といった仏教の信仰。
私たちは共産主義に対する自殺的とまでいえる執拗な抵抗の意味を、もっと知り理解しようとし、まず一九九九年に『ル・モンド』紙上に長文の記事を載せた。そして本書はガワン・サンドルの最初の伝記である。
目の前にいない人の肖像を描くとは! 一度も会ったことがない女性のことを話すとは……。それは野心的であると同時に、デリケートな仕事であった。どうしたら真実を語れるか? ガワン・サンドルは謎である以上に、挑戦であった。私たちには事実を超える、つまりフィクション化する気も権利もなかった。横道にそれることは、彼女に対する、彼女の闘争に対する裏切りであっただろう。また彼女の人格に入り込んで、あえて一人称の「私」を使い、私たちの考えで彼女の選択、疑い、さらには信仰といったことを語るわけにはいかなかった。そこで一歩下がって、かつてない軌跡の恵まれた語り手となることにした。…