不倫の恋、というものに過剰な意味付けをするという事自体が、古いんですよね。不倫=デカダンな大人の恋、とか。逆に、不倫=見返りを求めない純粋な恋、とか。まあ、今時前者みたいな考え方はいくらなんでも古いだろう、というんで後者の意味付けに走ったのかな?でも、それもステレオタイプですよね。そこに新味を加えるべく、きもの女子とか、下町あるきとか、早く言えばクウネルやリンカランを読んでる、元オリーブ少女達の趣味嗜好に訴える“良い趣味”を味付けにしたらしいけど・・・狙い過ぎてませんか?という感じ。最近の読者はスレてますからね。私も含めて。狙いが分かりやす過ぎて、読んでて冷めてしまいます。作者は不倫小説を、ヒロインと恋人の生活臭くない良い趣味の細かい描写によって綺麗なものに変換したかったようにも取れるけれど、そういう小説は過去に沢山あるので、特に新鮮さはないですね。つい最近、中里恒子の「時雨の記」を読んだので余計そう感じるのかもしれませんが。後、既婚者のレビュアーの方が不快を覚える原因は、作者が、この不倫に免罪符を与えようと、あれこれ策を練りすぎてるからじゃないでしょうか?どんな人がどんな状況で行おうと、不倫は不倫、誰かを傷つけるものです。この不倫は特別よ、と言わんばかりなのが不愉快ですね。