陸軍士官学校を卒業後ビルマ戦線で戦うが終戦を迎えて帰国。公職追放のため伊藤忠商事に就職、エネルギー関係の仕事で世界を駆け回る。「伊藤忠にその人あり」といわれ、山崎豊子の小説「不毛地帯」のモデルにもなる。昭和39年メルボルン支店長でオーストラリアに赴任したが、人種差別で不愉快な目にあったことや、当時会社の規定では実父、岳父を問わず葬儀出席のための帰国を許されておらず仕事の理由で一時帰国したなどの苦労話が語られている。日本に戻っても、石油事業で東亜石油からの一部撤収を自ら全責任を負って決めたときは後頭部に円形脱毛症ができたり、インドネシアのジャカルタ駐在の同僚が会議に出席のために日本に帰国した折、心臓発作で日本橋のオフィスで倒れわずか10数分後には不帰の客となった話や暴力団斡旋による不正融資事件の責任を取って自決した同僚の話も書かれている。
著者は後年ITビジネスに携わるが、旧陸軍時代連隊旗手として連隊暗号の責任者だったことを説明、大東亜戦争において帝国陸軍は敗れたが、暗号は海軍や外務省は解読されたが、陸軍は最後まで解読されなかったと胸を張る。この年代の人たちは文字通り猛烈に頑張ったんだ。